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「呪いのアプリ」の怪談を大人は怖がらない

ダグラス・アダムスの法則をいうものを初めて聞きました。

 

 

このツイートで見かけたのですが、「ダグラス・アダムスの法則」でぐぐってみても出てこなかったので、ツイート主さん自身がSalmon of Doubtという本から紹介したもののようです。

 

「なんかそんな感じするー」とちょっと共感を覚える法則だと思いました。

 

全部の人が当てはまるとは思わないけどだいたいなんとなくそんな感じがするっていう。

 

世の中には80代とかの高齢者でもスマホやネット使いこなしてる人もいるけどそれはやっぱり少なくて、どういうものかわかんないくせにというかわかんないからこそスマホやネットをえらく敵視してる高齢者を新聞とかでちょくちょく見かけます。

 

「もうトシだから最新のものにはついていけない」って素直に言える高齢者のほうがよっぽど頭が柔軟に見えるくらいに、いかにスマホやネットが嘆かわしいものかを熱弁してます。

 

そんなもんなんでしょうね。

 

 

 ま、それはそうとツイート読んで一番印象に残ったのは人は生まれたときからあるテクノロジーを自然の一部だと感じるというところです。

 

前々からちょっと思ってたことと自分の中で合致した感じがしたんです。

 

それがブログタイトルの怪談のことです。

 

 昔から怪談とかホラーは一定の需要があって、子ども向け雑誌には連綿とホラー漫画が語り継がれています。

 

その題材が時代のテクノロジーと同期してるんだなーっていうのが思っていたことです。

 

 

呪いの新聞

 

呪いの電話

 

呪いのテレビ

 

呪いのVHSビデオテープ

 

呪いのパソコン

 

呪いの携帯

 

呪いのDVD

 

呪いのアプリ

 

 

…などなどといった感じです。

 

そもそもホラー漫画というものがおおむね子ども向けのものとはいえ、今いい年した大人だと「呪いのアプリ」なんていう怪談をまず怖がったりしません。

 

それはアプリ(スマホ)と言うものが自分がいい年になってから発明されたテクノロジーだから自然の一部ひいては森羅万象的なものと感じなくてそこに幽霊やオカルトへの恐怖が本能的に繋がらないからでもあるなんだなー、と今回思ったわけです。

 

例えば、恐怖新聞は70年代の作品で新聞はもう世の中の当たり前のものだから当時も怪談のモチーフになりえました。

 

リング貞子のVHSビデオテープは物心つくまでにVHSがあったかなかったかの世代の違いで「呪いのビデオ」に恐怖できるかどうかの違いがありました。

 

 

私自身がいい年になってから子ども向けのホラー漫画をちょっと読む機会があったときに「なんでこんなに荒唐無稽に感じるんだろう」と疑問に感じて「たぶん生まれたときからあるものにしか恐怖を感じないんだろうな」となんとなく思っていました。

 

それが今回ダグラス・アダムスの法則を聞いてその印象と合致してすごくスッキリしたというわけでした。

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