ゾンサガRの感想を今更書いてます。今更だろうが書きたいんだから仕方ない。
ラス前11話は災害・被災のシーンをかなり本気で描いてることとか、宮野真守の歌とか、愛の涙とか、見どころはいくつもあったけど、やっぱり最後のさくらと幸太郎のシーンが全てをもってった回です!
もう本当にそこに尽きます。
令和元年の8月に九州北部で発生した集中豪雨災害。
それがこの作品の10話のラストでゾンビ屋敷(feat.唐津市歴史民俗資料館)を海に流したこの災害のモデルになってるのは容易に想像できます。
実在の特定の災害を元ネタに架空の災害シーンを創作することには、なんか心理的に抵抗感が生まれそうですが、そういうシーンは真面目に真摯に描くように徹すれば人々の反感を買うことは無くなると思います。
ただ反感を完全にゼロにできるとも思わないし、持つことをおかしいとも言いませんけど。
この作品は被災して避難所で暮らす人々、それを支援しようとする人々、それらを真摯に描いてると思いました。私は。
ただまー、この災害を「呪い」と言ってしまうのには違和感はありました。
豪雨災害は普通に災害です。自然・気象災害はどの国のどの町にも起こりうることで、呪いじゃないです。
って、作中で「これは呪いだ」と言ってるんだから呪いなんですけどね。
私はどうもこの作品の「呪い」の存在が消化できすにいます。
さくらが死んだのって呪いのせいだと思います?
↑これこれ。7話ラストのこれ。
なんかさー、さくらをはねた加害者は「事故直前に謎の光が差し込んで目がくらんだ」みたいに言ってるけど、お前生活道路を思いっきり速度超過してるんじゃん。光以前の問題じゃん。
さくらだって、全く左右確認せずに道路に飛び出してました。
私はどうもこれは、呪い以前の普通に起こるべくして起こった交通事故じゃないの?って印象がこの2年払拭できずにずっとモヤモヤしてます。
サキとゆうぎりは自殺行為で死にました。(「自殺」と「自殺行為」は似て非なるもの)
リリィはどうだろう、ヒゲ死するほど衰弱したこと自体は呪いと言えそうだけど、普通に過労とも見えるし。
愛と純子はかなり相当な不運だから呪いって感じもします。が、純子は飛行機の無関係な乗員乗客巻き添えの皆殺しだったのに対し、愛は彼女一人だけを超ピンポイントで狙った落雷で他の旧アイアンフリルメンバーらが無事っていう一貫性の無さがなんか気になってます。
うーん、マジでモヤモヤします。呪いには。
それに関してはウルトラジャンプの「ゾンビランドサガ外伝 ザ・ファースト・ゾンビィ」にちょっと期待注目してます。
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— ゾンビランドサガ リベンジ_TVアニメ公式 (@zombielandsaga) 2021年7月16日
ゾンビランドサガ外伝 ザ・ファースト・ゾンビィ
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本日発売の #ウルトラジャンプ 8月号に第3話「目指せ3高!輝けミラーボール!」が連載中!
栄吉たちの前に現れた、次なるサガコが求めるものとは!?https://t.co/Hww1VIM1Pk#ゾンビランドサガ #深川可純 https://t.co/wSv2u84JYR pic.twitter.com/wWJKpB4olm
佐賀の呪い「サガコ」とは一体何なのか?そして山田たえの死因は!?
ま、呪いについては今あれこれ思っても答えが出るわけないのでこのへんにして。
さて。駅スタ直前の時期になって佐賀に呪いの豪雨災害が発生し、11話はフランシュシュのプチ漂流記と被災者との触れ合いが主に描かれました。
朝起きたさくらが漂流して「船」が揺れてるのを眩暈と勘違いして慌ててたけど、勘違いでよかったね。ゾンビになるとずっと健康でいられるようです。年月で朽ち果てる心配は無いのかな?
そして食事や睡眠も無ければ無いでもずっと活動できる?
で、屋敷が全壊して行くあてのなくなった7人は、愛こと三子の勤め先、小島食品工業の町子さんと出会い、近くの避難所となっているカティオンに身を寄せると。
KATIONは陽イオンって意味なんですね。じゃあイオンなのかここは。
この作品では佐賀県内の企業などなどが実名で出ますが、久光製薬とイオンは無理だった模様。
それで7人は避難所生活を始めて夜を日に継ぐ大奮闘。ゾンビはやっぱり不眠不休でも平気なのね。
被災地の避難所でのレクリエーションは結構真面目に重要らしいですね。
短期的な「気を紛らわす」効果のみならず、避難所生活が長期化したらストレス緩和はさらに重要だとか。
今回のはかなり広い空間が無いと無理でしょうけどね。ショッピングモールだったから可能でした。
そういえば11話では取材協力に「危機管理教育研究所」ってクレジットがありました。
製作スタッフは災害に関して真摯に取材をしたみたいです。
話を戻して、7人はメイクがはがれてしまい、でもパフォーマンスを続けたいと無茶を言い、お面を作るも、一瞬で粉砕してゾンビ顔を晒す、と。しかし観客の子ども達は怖がらずにいてくれた、と。
このへんは見てて予想ができた展開なので驚きはしませんでしたが、ここで愛が泣いたことには、不覚にも「おっ」ってなってしまいました。
1期ではさくらに向かって純子とともに「ステージでは涙を見せないで」って言ってた愛の目にも涙。
愛はアイアンフリル時代にもステージで涙を見せたことは無さそうな気がします。どんな大舞台でも。
しかしこんな粗末で小さな音楽すら無いステージで泣いてしまうことにちょっとジーンとしました。
それでいて愛は仲間には涙を見せても客席には見せず、すぐに平常心を取り戻したところはさすがです。
なんつうか、アイドルの原点、というか人々に歌と踊りを披露するそのものの原点の原点のようなものを、愛はこの時改めて、あるいは初めて知った。みたいな。
この原点はさくらも感じたようです。
で、幸太郎と合流できて、メイク直しできて、駅スタライブは決行すると。
この時点で最初に駅スタリベンジライブをやろうとした意義と、今災害が起きてからやる意義は別のものになりましたが、それは次回の最終回感想ブログのほうに書きたいです。
それより11話はここからです。ね!
さくらのお礼と幸太郎の大見得のシーンは、私は語る言葉を持ちません。
ただたださくらの美少女っぷりと、乾少年のわずかな回想と、幸太郎のくさい台詞を静かに堪能したいシーンです。
つうかここが実質最終回ですわ。この作品はここに集約してますわ。次回のライブシーンはこれのカーテンコールのようなものですわ。
幸太郎も徐福も(生前のたえ達、佐賀サガコバスターズも)呪いと戦ってるらしいです。よく分からん呪いと。さくら達も知らずのうちに。
その設定自体が呪いです。
「なんでもかんでも呪いにしてんじゃねーよ」です。
でもさくら本人は佐賀の呪いなど知りません。
「もっとらん」のジンクスからは解き放たれたようですし、道路に出るときは左右確認できるようになりましたし。
さくら達には本当に呪いを吹き飛ばしてほしいです。作品内だけでなく、こんな設定自体を吹き飛ばしてほしいくらいです。
なんか意味不明なこと言ってますね、私。
とま。頑張れさくら!今のお前なら無敵だ!です。
以下余談。
町子さんが噛み殺されなくて良かったです。
あとお面製作時はみんな前髪あげてるのが超かわいかったです!