「頬に哀しみを刻め」 S・A・コスビー著 加賀山卓朗訳 ハーパーBOOKS って本読みました。
私は物語の大筋に納得できなかったのですが、でも読んでる最中は続きや結末が気になって巻を措く能わず状態になったのでその意味では素晴らしい小説なのだろうし、あとたぶん、これを読んで「主人公に共感できない」と思っても、作者コスビーは「そう思ってくれてもいい」という前提でいるんじゃないかと、勝手に思ってます。
はっきり言って主人公アイクとバディ・リーはクソ親父でしたし、コスビー自身も「こいつらはクソ親父ですよ」だとかなり念入りに意識して描写してると思いました。
主人公への共感と反感の比率は私は25:75くらい。たぶん世の中ではいろんな受け取り方をした人がいて、人によって10:90でも90:10でも全然おかしくないんだと思います。100:0と0:100の両極端だった人とは関わり合いになりたくないですけど。
では以下ネタバレあり感想。
掛け値なしで気の毒だったのは殺されたアイザイアとデレクだけです。彼らだけは本当に可哀想でした。
ただアイザイアは不用意で無謀すぎたとは思います。アメリカの黒人コミュニティがどんな社会なのかは散々身に染みて知ってる筈なのに、有力な黒人スターであるミスターゲットダウン(タリク)を告発しようものなら口封じに殺されるくらいのことは当たり前に起きうるって用心すべきだったと思います。
ジャーナリストが権力者に屈服したらジャーナリズムの敗北なのでしょうが、命あっての物種です。死んだら意味無いです。自分の命を守れないジャーナリストなんて。
なぜ命の危険を顧みずタリク告発を強行したのか。たぶん、怒りを抑えられなかったからです。
その気性は父親譲りだったのだと思います。その点でだけはアイザイアとアイクは似たもの親子です。
そうアイクは、相棒バディ・リーも、本当に怒りを抑えられない男でした。読んでて「お前らに怒る資格ある?」と思わずにいられないほど、あちこちで身勝手な怒りをひたすらぶちまけてる小説でした。
アイクとバディ・リーが生前の息子たちに与えた仕打ちはかなりひどい虐待でした。自分らが散々息子たちを苦しめて見捨てておいて、LGBT差別の延長線上の問題で彼らが殺されてから「殺した奴許せん!」って怒り狂うのって、身勝手にもほどがありますよ。
お前らこそ息子たちを精神的に殺し続けてきた主犯やろ。
まー、まー、そんなことは私なんかに指摘されるまでもなく、二人は作中でこれでもかってほど後悔と罪悪感に打ちひしがれてます。が。時すでに遅し。
自分ら自身が息子たちを殺した犯人と同類の犯罪者の殺人者だととことん自覚してながら、なのに犯人に報復することを絶対にやめられない暴力性がもう、読んでていたたまれなかったです。そういう小説でした。
とは言え真犯人がのうのうと生き延びることにも到底納得がいかず、復讐が完遂されたことは良かったと思いました。
できればアイクも死んでほしかったです。そうなってたら私はこの小説への納得度は格段に上がってたと思います。自分の命と引き換えにするんだったら釣り合ってる復讐だったと思います。
あとはジェンダー界隈について、えー、私はアメリカの差別事情が肌で分からないので、この本に描かれてる差別描写が真に迫ってるのか誇張なのかは判断できません。なのでそこは保留!
ただ自分の息子がゲイだと知った黒人の父親が、息子が死んでも「あんな奴は一族の恥だ。死んでせいせいした」とか思うのも普通にいそうだと思うので、アイクとバディ・リーが息子が死んで目覚めたのは都合のいい展開なのだろうなって印象は強いです。これはやっぱり作り物のフィクションです。
それにジェンダー界隈では、男の肉体したスポーツ選手が女子の大会に出場する問題とか、ペニスがついてる大人が女子更衣室や女子トイレや女湯に入ろうとする問題とかもありますが、そういう側面からの視点はこの本には存在しませんでしたし。
結局いろんなことがもやもやする物語で、それは読む前から薄々そう思ってたし、そう思っていい小説なんだろうと思います。
ところで、原題の「RAZORBLADE TEARS」は超かっこいいセンスだと思いました。直訳すると「カミソリの涙」。自分の涙が自分を切り刻むという。それで邦題は「頬に哀しみを刻め」なのだからこのセンスも天才です!