ゼルダの伝説 ふしぎの木の実 大地の章 時空の章 をクリアしました。
ニンテンドースイッチのスイッチオンラインのゲームボーイのやつ。
ずっと昔に一度遊んだことはあったのですがその記憶はすっかり消えててかなり新鮮な気分で遊べました。
いや本当にマジで「すごくいいじゃん!」って思いました。大満足。
もとは2001年のゲームボーイカラーのソフトなのでシステムは超単純。しかし決して単調ではなくしかもこの2作は二つで一つの物語なので両方続けてやるとかなり重厚かつ骨太です。
スイッチオンラインで配信されてる昔のゲームソフトって、単調だったりモサモサしてたり数分遊んでみても全然楽しさを感じないゲームが少なくないのですが、これはそういうのを感じずにすごく楽しめました。
しかも私は去年にゼルダの伝説ティアーズオブザキングダムを遊んだところなので、その記憶を持ってこの2作を遊ぶと、キャラクター達に妙な感慨が湧きました。
もちろん、ゼルダの伝説シリーズの各ソフトは全く違う時代違う世界観なのでそれぞれのリンクやゼルダ姫達は別人であることはよく承知してるのですが、それでも「ルーツ」とか「ゼルダという遺伝子」とかそんなのを感じてちょっと胸が熱くなったりもしました。ゼルダ最高~。
さて。去年2023年にティアキンを夢中で遊んでたころにこの2作が配信開始されました。「いつか改めて遊ばねば!」と思ってたのがようやく遊べてクリアできました。
2作で4ヶ月くらいかかったかも。
大昔に遊んだときは先に大地をやったので今回が時空を先にしました。でもどっちを先にやっても優劣の差は無いです。
プレイ時間は時空が27時間、大地が22時間。遊んだなあ~。
ただ時空のほうがダンジョンの謎解きが難しいです。中でもLV7「ジャブジャブ様のお腹」は、なにやら歴代ゼルダでも屈指の難易度なんだとか。
なんていうか、この2作と夢をみる島DXのメインダンジョンの謎解きはブレワイティアキンで言うところの祠に近く、一つの部屋に入ったときに、そこで何をどうすればいいのかをまず自分で考えないといけません。祠は題名がヒントでしたがこっちはヒントはほとんど無し。
例えば、床で色の違う部分が3カ所あって壺が3個置いてあったりして、そこで「壺をそこに運べってことなんだな」ってのを自分で察してそこから運び方を熟考して達成したらその部屋の謎解きはクリア!という感じで。
(私が一番悩んだのもジャブジャブ様でした)
(宝箱の取り方が分からない……)
時には何時間も考えるのですが、どうしても解けないときは攻略サイトを見ることにしました。初見プレイだったら自力クリアにこだわってもいいんですけどね。祠は頑張って全部自力で解いたっけ。
あとは道中のミニゲームにも腐心させられました。ゼルダシリーズではミニゲームもお約束ですが、ティアキンとかではクリア報酬はルピーとかの非重要アイテムで、時のオカリナとかではハートのかけらで、やらなくてもゲームクリアはできる感じだったのですが、今作ではやらないと先に進めないので難儀はしました。まー巻き戻し機能があるので楽勝ですが。
その点で言えばまさにスイッチオンラインで遊ぶべきゲームだと思います。今の時代なら。
では、2作のプレイ感想を長々と書いていきます。主人公の名前は普通にリンクにしました。
彼は今作ではゲーム開始時点では何者でもないハイラルの一般人の少年で、「勇者の試練を受けよ」とまずは時空の舞台ラブレンヌ次に大地の舞台ホロドラムへと飛ばされることで物語開始となります。飛ばしたのは結局誰だっけ。トライフォースさんかな。
試練というよりは「この二つの国を救わないとやばいよ?」という召喚に近い印象。二つの国に起きた問題をなんとかしないと全世界が危ないです。
冒頭で出会うのは時の巫女ネールと闇の司祭ベランで、要するにネールを救ってベランを倒すというこの時代のゲームではごく普通なヒロイックストーリーです。
このヒロイズムは時代を経るにつれ、ごく普通ではなくなり「今時勇者様と囚われのお姫様かよ」ってなもんなんですが、しかしこのゼルダシリーズに限っては、昔も今もそうであることがむしろ逆に価値となってると思います。
古臭いヒロイズムに囚われない価値観も大切ですが、それは同時にヒロイズムだって多様な中に存在すべきものの一つであるってことです。ゼルダ姫は囚われのお姫様でもいいし今後「プリンセスゼルダShowtime!」があってもいいんです。
で。ゲームを普通に進めます。操作感は夢島ベースでスーパーファミコンの名作神々のトライフォースに近くシンプルかつ快適でした。
道中ではティアキンを遊んでると覚えのある言葉がちょくちょく出てきます。インパとかゴロンとかゾーラとかポゥとか。
あとチンクルとかお面屋とか風車小屋とかにもピクッと反応してしまいます。
この感覚が、私は遊んでてとても心地よかったです。
彼らもまたゼルダシリーズを彩る登場人物であり用語であり、「今作での彼ら」に「再会」できたような嬉しさがあります。
これは私自身がゼルダシリーズ全体のファンだから感じることなのかもしれませんけどね。
こういうところが本当に好きです。ブレワイティアキンの作中でルト姫やファイの存在をふと感じたりしたのとか、そういうの。
でも私はシリーズで遊んでない作品も多いのでまだまだです。ぼうし、トワプリ、タクトなどなど。あと汽笛と砂時計は積んでるんだけど、やっぱり時間作って遊ぼうかなあ~。
話を戻して、そんなこんなで苦労しつつも普通に時空をクリアしました。歯ごたえありまくりでした。
そして待ちに待った「あいことば」です!
ふしぎの木の実はこの合言葉システムによって、どっちもがどっちもの続編になれるという稀有なゲームです。
「一作目」のラスボスのベランなんて前座も前座です。
余韻に浸る間もなくすぐに「二作目」たる大地を開始しました。
これは「ふっかつのじゅもん」システムを進化させたようなもので、今の時代では無用なものだけど、だからこそロマンやワクワクを感じさせます。
というわけで二作目の大地は時空の続きの話となり、その事実が前提として存在してたり、ラブレンヌで一度出会った人達とはこちらでは顔見知りとなってたり、この再会もまたちょっと嬉しい感じのものでした。
ところで全然関係ないんですが、ブレワイで出会った人々がティアキンで再会できたときも嬉しかったんだけど、サクラダだけは何もなかったのはなんだったんでしょうね?エノキダやカツラダとは再会を喜び合えたのに寂しかったです。
それはともかくこっちでもヒロイックストーリーを満喫します。大地の巫女ディンを闇の将軍ゴルゴンから救います。
ゼルダ姫ご本人とは、ここで初対面なようです。
実はこの作品でのゼルダ姫はストーリー上は登場する意味が薄く足を引っ張る存在なのですが、いや……それは解釈次第かな……危険な土地にわざわざ来たのは、不安な国民を鼓舞して守るって意義があったのでしょう、きっと。
(ちなみにブレワイティアキンでは「厄災」でしたが、今作は「災厄」でした)
あと今作でのマスターソードは二作を合言葉で行き来して初めて手に入る仕様で、やっぱり1作遊んだだけでは話になりません。
GB版発売当時は、ポケモン赤緑や金銀のように、友達とかとで役割分担したんでしょうかね。一人で2本買うのも可能だけど、安くはない買い物です。
ともあれマスターソードと指輪の火力でサクサク進んで、ラスボス戦に挑みました。
時空ではベラン一人だけだったのが、大地ではゴルゴン、ツインローバ、そして大魔王ガノンと3戦になり、まさに真のラスボス戦!
これもスイッチのどこでもセーブ機能と巻き戻し機能のおかげで、楽勝でした。ありがとうスイッチの鬼機能。
そして。よく分からないうちに勇者の試練に挑まされ、難しい謎解きと激しい戦いを強いられ、見事こなしたリンクへのご褒美は、ゼルダ姫のキス。
私が遊んで覚えてる限りでは、リンクにキスしたゼルダ姫は今作の彼女だけです。
王道のめでたしめでたし。
しかし「二人は末長く仲良く暮らしました」というエンドロールではありませんでした。
それもまたゼルダあるある。二人がくっついたパターンのほうがずっと少ないです。
さらに言うとその少ない例であるスカイウォードソードとブレワイティアキンも「くっついたとも解釈できる」って程度でしたし。
シリーズを知ってるとなおのこと甘酸っぱくほろ苦く感じる貴重なキスでした!
いや~、これぞゼルダというのをたっぷり味わえて本当に満足でした。
「レトロゲームなんてだるい」って人には薦めませんが、そうでないならそしてブレワイティアキンを楽しめた人なら、一度遊ぶ価値はあると思います。行き詰ったら攻略サイトがありますし。
ふう。
ゲームに限らず、長く続いてる作品シリーズって、「シリーズ全部を知ってなきゃいけないの?」というジレンマがあります。アメコミヒーローの映画とか、長寿連載の少年漫画とか。
それらの多くの作品群の一つだけを無知なままで鑑賞して、楽しめるならそれでいいけど、「より詳しく知ってるとより楽しめる」というのもあり、今回の私はまさにそれでした。
このこと自体は決していいこととは限らず、逆を返せば「詳しく知らないと意味が分からない」ってことになりますけどね。
でも「可能な限り、嫌気がささない限りは、シリーズを追いかけてみようかな」という楽しみ方もまたありなことです。ゼルダにはその価値は、あります!!!