角川書店 乱歩殺人事件 -「悪霊」ふたたび 芦辺拓・江戸川乱歩著 って本読みました。
すごいお見事な本でした。なるほどなあー。芦辺天才やなあー。
なによりこの本の江戸川乱歩はかっこ悪くないのがすごいです!この本では乱歩のかっこ悪いところがかっこよく修正されてます!
いや、私は「乱歩にはかっこ悪いところがある」と同時に「それを踏まえても乱歩の凄さは変わらない」「むしろかっこ悪いところも乱歩の魅力と言ってもいい」とも思ってますよ。
で、そのかっこ悪さとはもちろん「悪霊」の執筆を途中で投げ出して逃げ出したようなところです。でもこの作品の中の彼は、あえて「悪霊」の執筆を途中でやめたんです。あえて「逃げ出した」という汚名をかぶったんです。かっこいい!
芦辺の究極の忖度です。そこもこの本の面白かったところの一つです。
マジで私は乱歩が「悪霊」を途中で投げたことに全く批判的な感情は持ってないです。笑い話のように「乱歩っていろんな意味ですごい人やなあー」とむしろ人間的魅力に感じてます。
しかし当時の乱歩ファンにとっては落胆や怒りはそりゃもうすごかっただろうとも想像します。
私だって今リアルタイムで連載を追いかけて続きを楽しみにしてる漫画や小説が、作者に何も外的要因がないのに途中でプッツリやめられたらたまったもんじゃない、って思いますし。
さて。私にとって江戸川乱歩は唯一「全集を全部読んだ作家」です。若い頃に講談社江戸川乱歩全集全25巻を読破しました。
「悪霊」もすごく印象的でした。私は「悪霊」が未完作であることを知らないまま読み始めて、途中で終わっちゃって「なんじゃこりゃ!」と驚いたものでした。
で、それもずいぶん昔のことなので印象はともかく物語の記憶が消えた今日このごろにふと見かけたのが、この本、「乱歩殺人事件」でした。
あの「悪霊」の続きを他人が書いたの?
あの図形も説明つくの?
(あの図形)(これは講談社全集から)
こりゃ読むしかない、と。
読んだところちゃんと続きとして成立してました。本当にお見事でした。乱歩が拡げた大風呂敷を芦辺が見事にたたみました。
オリジナルで開始早々にいくつも出された不可解な謎が全部ちゃんと解決してると思いました。
この図形にも。
まーこの図形を見て「あ、これは半陰陽(両性具有)の絵だな♂♀」とすぐに思えるかというとそうでもないんですが、この図形をそう解釈したことで物語のつじつまが合うようになったことには感嘆せずにはいられませんでした。
本当にすごいです。「つじつま合わせ」の最高レベルの技術を見ました。
そして「乱歩のかっこ悪さ」についても面白かったです。
乱歩が1934年に新青年連載の「悪霊」の執筆を投げだしたのは、まー、単純に、彼が続きを考えられなくなったからです。同情的に言えばスランプ、批判的に言えば見切り発車。
しかし芦辺は、この「乱歩殺人事件」の中では「悪霊」の殺人事件は実際に起こったことで、乱歩自身もその事件に間接的に巻き込まれて、続きを執筆してしまうと新たな犠牲者が出るからあえて断筆した、という設定にしたことで、実際の乱歩が連載を投げたかっこ悪さをちょっとイメージ修正しようとしてる印象を感じて、なんか笑ってしまいました。
そりゃ、芦辺にとっては、超超超有名レジェンドたる乱歩の作品を赤の他人がいじくることになるわけですから、どれほど恐れ多い心境なのかは計り知れません。乱歩を持ち上げられるだけ持ち上げたいというものなのかもしれません。
私はそこに多少の苦笑と、さらに、この「乱歩が連載を投げた真相」自体も「悪霊」のトリック解明の一要素になってる構成に、これまた感嘆したのでした。
本当に、乱歩ファンのはしくれとして、この本は「見事」「読んでよかった」「私の中で20年近く沈殿してた「悪霊」の謎のモヤモヤがすっきりした」「ちょっと笑えて面白かった」と、大満足な作品でした。
あと余談なのですが、「悪霊」って、誰が犯人なのかはオリジナルを読んだだけで分かるもんなんですかね。
ミステリー作家やマニアにとっては、分かって当然?
あとがきでそう書いてあったので、私は、昔も、今回もこの本の中の「悪霊」オリジナル部分を読んでも、ちーっとも分からなかったので、ちょっと愕然としました。
本文の中ではそこについても謎解きがあるので、「言われてみれば」と理解はできたのですが、私は本当に推理小説を何も考えずに漫然と読んでるだけであることを改めて痛感しました。
フーダニット読んでも「誰が犯人か当てよう!」って特に考えずに読むもんなあー。
私は乱歩ファンといっても、ガチで低レベルなにわかです。
まーそれで全く構わないんですけどね。