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「日の名残り」小説&映画の感想 吉良吉影はこの映画のどこが好きなのか?

「日の名残り」カズオ・イシグロ著 土屋政雄訳 早川書房 って本読みました。そして続けて1993年のその映画も鑑賞しました。

 

ジョジョの奇妙な冒険4部吉良吉影が好きな映画なんです。なのでいつかみてみたいと思ってたものでした。

 

まず小説を無心で読み、次に映画を「吉良はなぜこの映画が好きなんだろ」と考えながら鑑賞したのですが、私はなんとなく映画版の女性観に吉良に通じるものがある気がしました。ほぼこじつけですけど。詳しくは後述します。

 

さて、えーと、私が好きな漫画ジョジョの奇妙な冒険ではたまに登場人物のプロフィールが公開されることがあり、そこにそのキャラの「好きな映画」も書かれたりもします。

 

作者荒木飛呂彦はかなりの映画通であり、というか自分の漫画のために映画を研究するような人で、そんな彼が設定した登場人物の好きな映画からその人となりも想像できそうなところもこの漫画の魅力の一つです。

 

で、4部の敵キャラ、吉良吉影のプロフィールにあったのがこの映画、日の名残り。連載当時は新しい映画。

 

 

私はこの漫画に名が挙がった映画全部を追っかけようとかは別に意識してないのですが、これの原作者カズオ・イシグロが2017年にノーベル文学賞を受賞した時に日の名残りの存在を改めて知りました。

 

いつしか「そのうちみてみよう」と思うようになり、その「そのうち」が今来たので今みたのでした。私はこういう「そのうち」を何年も放置したりある日突然観賞したりするのを自分の気分に任せて楽しんでます。

 

 

長い前置きでしたが、まずは原作小説版を読んでの感想です。以下ネタバレあり。

 

 

 

感想は一言で言うと「なるほどな!!!!!!」でした。すごく良かったです。

 

私は事前知識無しで読み始め、最初はやや退屈な話が結構続くのですが、途中から「んん?」「なんかおかしくない?」と思うことがちょいちょい出てきて、そして結末まで読むと「そう思って正解だったのね」と思えるような構成になってて、それがものすごく見事で超感心しました。こらノーベル賞もとるわ!

 

 

主人公スティーブンス1956年にたぶん50歳過ぎのイギリスの老執事。彼のリアルタイム一人称の小説なのですが、彼が誰に向けて語ってるのかは謎で不思議な一人称小説です。

 

彼はその自分語りや回想で、戦前イギリス上流紳士のお屋敷に仕えてた自分がいかに名執事であったかが延々と語られます。ほぼ過去の栄光の自慢話。序盤は本当退屈でした。

 

しかし彼の化けの皮がじわじわ剥がれていきます。車の一人旅をしててラジエーターの水やガソリンを切らすとかたびたびヘマをしたり、合間に語られる回想もなんか変だったり。ある意味信頼できない語り手でした。

 

 

例えば彼は昔の主人ダーリントン卿を崇拝してて、卿が反ユダヤ派だったと現在世間から悪評価されてることを「馬鹿げた噂」だと一蹴するくせに、その直後に卿が実際にユダヤ人の女中を強引に解雇させた事実が明かされて「何言ってんのお前?」と思わされます。しかもこれらは全部彼自身が語ってる言葉ですからなおさら。

 

その極めつけが彼が惚れてた(らしき)女性ミス・ケントンの回想。過去の彼女とのやりとりの回想はもう名執事なんかではなく「鼻持ちならない」「頑迷」「愚図」という印象しかなく読んでていらいらするほどです。

 

 

過去に数年間一緒にお屋敷で働いてて、彼女のほうも最初は彼に気があったのは確かなのですが、しかし彼は彼女が欲しい言葉をかけることは何一つなく、仕事仕事仕事品格品格品格ばかりで彼女に失望され見限られる様子が嫌と言う程伝わってきて、しかもそのことが彼の口からの回想で語られて彼自身にはその自覚がいまいち無いというすさまじい物語が描かれてて、退屈も吹き飛びます。

 

で。彼が現在進行形でやってる一人旅の目的は20年ぶりに彼女に会いに行って「またお屋敷で働いてほしい」と打診することなのですが、彼女はそれを受けるのか受けないのか結末が気になってページを進めずにはいられなくなります。超お見事。

 

結果案の定断られて、それどころかスティーブンスが事前に彼女から受け取った手紙から「彼女はお屋敷に戻りたいと思ってる」と感じたことすらただの勘違いだったという有様。悲惨すぎます。彼女にとって今の彼は過去の思い出のごく一部でしかないのでした。

 

さらにはダーリントン卿が後に反ユダヤ主義で名誉を全て失ってみじめな死を迎えてたこと、スティーブンスには卿が反ユダヤに走るのを止めることもできたのに執事の品格を言い訳にそれをしなかったこと、品格ある名執事を気取ってマジで仕事も恋も何一つ得てなかったことが明かされて、読んでていたたまれなくてたまりません。

 

奇しくも彼はこの旅によって、愛する女性を得られることもなく、自分が名執事なんかではなく、しかもそのどちらも得られるチャンスはあったのに自ら不意にしてたことに、旅の最後に気付いてしまい、日没前の港の桟橋のベンチで泣いてしまうのでした。

 

なんちゅう物語や。すごすぎます!ノーベル賞!

 

というわけで「日の名残り」の小説の感想は私は絶賛でした。

 

 

そして読み終わってすぐに映画をみることにしました。ネトフリにはなかったけどamazonで100円で単品視聴できました。ありがたく即ポチ。

 

 

 

映画のほうは小説が☆5だとすると正直☆3くらいでした。映画のすごさは半減してます。

 

いくつかの設定も物語の細部もそしてラストシーンも変わってて、大筋は原作通りなのですが受ける印象は結構違いました。

 

しかし、「小説は最高だけど映画はそこまでじゃないかもなあ~」とか思うこと自体が、小説と映画を続けて鑑賞することのまさに醍醐味であり、私はたまにこういう比較を楽しんでて、今回もそこはじゅうぶんに楽しめたので満足してます。

 

 

 

そして何より、今回はジョジョの吉良吉影を想定しながらみるという主旨なので、小説と映画が別印象であることは、むしろ想像が捗った気がしました。

 

そうです。吉良がもし「好きな小説」として日の名残りをあげてたら不可解だったかもしれませんが、「好きな映画」としてだったら、ちょっと腑に落ちる感じがしたんです。荒木飛呂彦が日の名残りの小説も読んだのかは知りませんのであくまで私の勝手な想像なんですが。

 

 

小説に描かれたものは、「俺の人生空っぽだった」「耄碌」「後悔」「それでも残された人生を前向きに生きていかなきゃ」っていう感じでした。(「イギリスの歴史や政治」は興味ありません)

 

映画のほうはそういう要素はナーフされてて、原作では薄めだった「お互いを想い合ってた男女がすれ違って結ばれなかった」って要素が強めに感じました。

 

特にケントンは、お屋敷に戻るかどうかをスティーブンスに20年ぶりに会う直前まで迷ってたような様子がわざわざ追加されてて、なんつうか、そこに、スティーブンスの都合のいい妄想が実は本当にちょっとそうだったという、まさに都合のいい独自設定が生まれてたように感じました。

 

そういう「映画では「男の都合のいい女への妄想」が本当になってる」が、ジョジョ4部吉良と、ほんの少し重なってる気がしました。

 

我ながら強引な解釈だとも思うんですけどね。スティーブンスと吉良は全然違うんですけどね。

 

ただ「一体吉良はこの映画のどこに感銘を受けたのだろう」と想像すると、「吉良はこの映画ではスティーブンスとケントンは本当に愛し合ってたと解釈したのではないか」と、私は思ったわけです。

 

快楽殺人者である吉良は、手が美しい女性を見つけては殺して、死体を自分のスタンドキラークイーンで爆破処理して片手だけを残して、その死体の片手を、自分らは仲睦まじい恋人同士だという設定で(死体が腐敗するまでの間)愛玩してたわけです。

 

自分の都合のいい解釈を女性に一方的に当てはめて、「叶わぬ悲恋」ごっこでもしてたかのように。そんな自分と殺してきた「恋人(たち)」と、スティーブンスとケントンを重ねて見た???

 

そして事実は(原作は)妄想(映画の独自設定)とは全然違うのに当人にはその自覚が無いっぽい、というところも、なんとなく、日の名残りを吉良フィルターでみようと意識したときに印象的に感じたところでした。

 

うーむ、いや、やっぱりこれは強引な解釈です。私自身が意図的に「解釈しよう」と思ってひねり出しただけです。

 

でもまー、それはそれでまーいいか、とも思ってます。

 

面白かったです。小説最高でした。

 

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