先週のYJのかぐや様は読んだときにあまりに落胆して当日はどう感想ブログ書こうとしてもひどい文章しか浮かばなくて、書くのを放棄しました。
でも1週間経って頭の中が少し整理できて、あと私事ですがここ最近夢中になってたSF小説「三体」を全巻読み終えて他の事に時間を割く余裕も回復したので、今更ですが気が変わって265話の感想書きたくなりました。
あ、三体は最高に面白かったです。超お薦めです。
週刊ヤングジャンプ41号 赤坂アカ かぐや様は告らせたい265話 「大仏こばちの最終回」
さて、私には最悪でした。265話は。
しかしそんな感想をわざわざ発表する意味なんてあるんでしょうか?
私はこのブログに漫画などなどの感想を書くのは基本的に良かったと思う作品であり、あるいは長所も短所も感じたときは両方ありのまま書く感じでやってます。
たまに「これはあかん」と思った作品のネガティブ感想を書くときは、自分の個人的好き嫌いを抜きに考えてもあかんところがあると、それを主張したいと、強く思ったときに論を尽くすようにしてます。
でも265話の最悪は、本当に単なる私の好き嫌いです。
(あとこの気持ちは突出的なものではなく、これ以前の展開にも疑問や不満が多かったので、落胆が蓄積した「心の疲労骨折」のようなものでした)
しかも私は普段は「自分が嫌だと思った漫画なんて読むのやめればいいだけじゃん」って姿勢の人間です。
だったらかぐや様も読むのやめればいいし、感想ブログも完全にやめればいいんです。なのに私は読むのも書くのも続けてしまうわけです。自己矛盾です。
これについてはこの一週間結構思索しました。かぐや様が完結を迎えたらまた考えてブログ書きたいと思ってます。今日は開き直って265話の感想に集中します。
というわけで以下は不満に満ちた感想です。
さて。作中では季節が高速で巡り、冬服になり第69期生徒会長選挙。
そこまでにあった筈の、68期生徒会が解散する話も無し、伊井野が立候補表明する話も無し、白銀は伊井野のために一時帰国したのかとか、かぐやが伊井野に交わした次の生徒会長への支援する約束はどうなったのかとか、石上は伊井野のために具体的にどうしたのかとかは、全部全部省略。ついでに白銀の誕生日9月9日や中秋の名月も省略?
大仏については……、何か書くのもうやめようと思ったけど、やっぱり書くことにします。
大仏は相変わらずキャラクターが狂ってて、彼女の前提や何考えてるのかは登場のたびにコロコロ変わるし、校内生徒からどう思われてる存在なのかも全然分かりません。
自分では嫌われ者とか一言で言ってますが、あんた超美人の元アイドルの難題女子なんでしょ。
超美人も元アイドルも難題女子も全部後付け設定です。なのでそもそも前年の選挙時に初登場した頃の大仏と、今の大仏は全く別の物体です。今の彼女には積み重ねた物語は何一つ無く、あるのはひっくり返されて散乱するちゃぶ台が何個かだけ。
伊井野の選挙の物語に関しては「想像で補ってね」とされても不可能では無いですが、大仏は、脳内補完しようとしても、破綻の無い想像を組み立てることは私のおつむでは無理でした。
大仏が崩壊してるのはとっくの昔からなのでなるべく気にしないようにしてたのですが、今回の話は、忘れようとしてたことを改めて再認識させられた、って気分でした。
ふう。良かったです。私は今、先週265話を読んだ直後とは違い、我ながらだいぶん落ち着いて思ったことを書けるようになってます。良かった良かった。
ちなみに後付け設定はどのキャラも多いですが、ほとんどは根底を狂わすほどは無いです。
そして。省略された伊井野の生徒会長への道のり。
私は今の伊井野には生徒会長の器はまだ足りてないと思ってましたが、きっとそれも省略されたのでしょう。成長していろんな課題はもう解決したんです。省略されただけで。
前年の男女交際を禁止する公約はどうしたのかとか、秀知院は四宮が理事長だから女子が会長になった前例は無さそうだとか、どうやってあがり症克服できたのかとか、今も同学年にいる筈の中学時代貼り紙とかのいじめをしてた生徒達とはどうしたのかとか、選挙運動中にワルイイノが発現したりしなかったかなとか、中野というライバル候補とは何を討論したのかとか。
私はこの省略に本当にがっかりしてます。
その物語こそじっくり読みたかったです。本当に本当に。この漫画で一番重要なのは伊井野なんです。
でも、随分前に「最終章」と銘打たれ、伊井野以外のキャラ達(例えば圭ちゃんとか)の最終回もいろいろ省略されてて、なので私は以前から「伊井野の物語もきっと省略されるんだろうな」と薄々思ってました。心の準備はしてたつもりでした。
なのに今回の超バッサリ省略をこう実際目の当たりにして、私は自分が予想以上に落胆したことに自分で驚きました。
今回の話は、例えるなら、ゲームとか遊んでて、第一章二章三章とそれぞれ数時間かけてクリアして感動して、最終章をいざ始めたらプレイ時間3分くらいでエンディングになって、「ほら!最後はみんな幸せそうに笑ってるよ!」という画像だけがある、みたいな感覚。
ラストの二人が涙を浮かべ笑顔で喜び合えてる感動の画像に、私は感動しませんでした。省略してほしかった不満と省略してほしくなかった不満が抱き合ってる画像でした。
それはそうと「7以外だとタンヤオは消えるけど他の役はつく待ち」ってなんか想像しにくいですね。23456のピアノ待ちだったら「4か7を引けてたら」と言う筈ですし。4が出尽くしてたならもとから悪形で勝ち目は薄かったんだよ、藤原。
以上、本当に私個人の好き嫌いだけでの感想でした。
この265話を「感動した」「いいところもあった」と思ってる人にとっては、こんな感想は「なんか必死な奴がキレてるわー」ってもんでしょう。その通りです。キレたのは堪忍袋の緒ではなく、心に張られてた何かの糸ですが。
しかし世の中には「辻褄も省略もどうでもいい」って人も確かにいて、それで何もおかしくないです。だから本当にただの主観です。
私は物語を鑑賞するときにストーリーや整合性をかなり重視します。作品によっては「面白けりゃ辻褄なんてどうでもいい!」ってのもありますが、私にとってはかぐや様はそうではありませんでした。実際に途中までは完璧とは言わずとも素晴らしい物語ばかりだった、と、思ってます。
ああ、これは私は今のかぐや様をいいと思ってないことを白状してるも同然です。
まいっか。今後は、最終回まで残り少ないですが、この気持ちをもう取り繕わずに最後まで感想ブログ続けたいです。せっかくここまで続けたんですからね、結末を見届けたいってもんです。
残りの話は何がどう描かれるんでしょうね。「伊井野ミコは愛せない」や「そして、石上優は目を閉じた」や「四宮かぐやの無理難題」や「先輩くんと後輩ちゃん」もはたして省略されるのか。「一年生 夏」はさすがにあるだろうとは思いますが。
(12巻)
また、阿倍ひふみや大林ヒカル教諭や校長とかについては、まいっか。
今回は本当にネガティブなブログでしたが次回以降の最終回までのかぐや様感想ブログもこんな調子になるかは自分では分かりません。
掌を返して「恐れ入りました!」と感嘆する結末になる希望もまだゼロでは無いとも思ってます。今回はあくまで大仏の最終回であって伊井野の最終回ではないですから!
そうだったときは、思いっ切り掌を返そうと思います!
あるいは石ミコがチューでもしてるシーンとかだけでもあったら、石上優が目を閉じたら、案外それだけでも満たされた気持ちになるかもしれません。
実はそれほど石ミコ派ってわけでもないんですけどね。伊井野の恋は応援したいけど。私はマスメディア部で言うなら白かぐ派のかれんよりかぐや個人を崇拝してるエリカに近い立場です。ミコしゃまきゃわわ。
ところで「三体」は本当に面白かったです。アナログ写真が趣味の中国人科学者が、ある日自分が撮影した写真にだけ謎のカウントダウンの数字が写り込むのを発見します。数は大きいけどどんどん減ってます。撮影しない間も減ってきます。そしてこれはオカルトではなくれっきとした物理現象でした。