講談社現代新書 高橋昌一郎著 「フォン・ノイマンの哲学 人間のフリをした悪魔」 って本読みました。
な~んか微妙~にすっきりしませんでした。
私はフォン・ノイマンについてはほぼ無知で、この本は人間のフリをした悪魔ってタイトルに興味をひかれてなんとなく読んでみました。それでノイマンがすごい人だってのは理解できたのですが、それよりも第5章の戦争観と原爆観についてこの本の作者高橋に、な~んか「ん~???」って首をひねったのが一番印象的な本でした。
私はノイマンについてはなんかすごい天才科学者だとしか知らず「ノイマン型コンピュータ」って言葉にうっすら聞き覚えがあるって程度でした。
読んで初めてノイマンの数々の偉業や、そして原爆の主要な開発者だってことを知りました。
そういや関係無いけど、映画「オッペンハイマー」にはノイマンの存在はカットされてるらしいですね。ノイマン出すと原爆の残虐性が際立つからカットされたんでしょうかね。まーそこは今はいいや。
さて。原爆を開発するマンハッタン計画に参加した科学者たちはそのあまりの大量殺戮兵器っぷりに、苦悩した人としなかった人に割れてるらしいです。
オッペンハイマーとかアインシュタインとかは苦悩した側。そしてノイマンはしなかった側、と。
作者高橋はそれはノイマンが「科学優先主義」「非人道主義」「虚無主義」だったからだとこの本では説いてます。
非人道主義ってのはヒャッハー系のことではなくその逆で、冷徹に効率だけを考慮するみたいな感じのことっぽいです。
原爆を開発するに、良心の呵責なんて感じる意味は無いと考え、そして、原爆を日本のどこに落とすか決めるときには効率のみを考えて、東京は終戦後の処理を考えると落とすのはやめといたほうがよくて、逆に京都に落としてやって歴史的文化財を消滅させて日本人の心を折ってやるのが効率的だ、と、主張したそうです。
で、私はそれを読んでも、ノイマンに無知でこの本を読んだ知見しかない状態でも、これって非人道主義とか虚無主義とかそんな大層なもんとは違うんじゃねーの?って感じました。
ノイマンは単にナチ公ドイツ人とイエローモンキー日本人を敵視して見下してただけなんじゃねーの?って印象が湧きました。
だって、本当にノイマンが虚無主義なら、自分の家族や友人にだってそうじゃなきゃおかしいです。
しかしノイマンは家族や友人などなど自分の周囲の人々には温かい性格の人だったらしいです。じゃあこの人には良心や道徳があるんじゃん。日本人に向けては無かっただけなんじゃねーの?
この本読んでると、彼はハンガリー生まれで後にアメリカ市民権を得て、かなりアメリカへの愛国心が強そうに感じました。そして祖国を壊したドイツ、アメリカと戦争した日本、冷戦中のソ連にだけ「殺せばいい」って言ってたんでしょ。つまり虚無主義とかじゃなく単に「自分が敵だと思った相手には良心なんてかけなくていい」って思想なだけの人でしょ。違うん?
高橋はこの本で自分で散々「ノイマンは仲間には優しく、敵認定した相手には冷淡」ってエピソードをたくさん紹介しておきながら、彼はそんな奴ではないと無理に解釈しようとしてるって印象を、妙に強く感じました。いや本当にこの本読んだだけの感想でノイマンの人物像を私は全く他のどこからも得てないでただこの本ではそう感じたってだけのことなんですが。
(原爆製作所にいた人のおもしろエピソードを聞かされても、おもしろいとは思えねえよ)
また、この本は全体的にノイマンの生涯を追う形式なのですが、第5章の最後では高橋自身のあの戦争への見解が述べられてて、そこで高橋は「なぜ日本はもっと早く降伏しなかったのか」を「いくら考えても理解に苦しむ」とまで言ってます。
いやいやあの戦争で一番理解に苦しむ点は、それこそ「なぜアメリカは原爆をいきなり大都市に2発も落としたのか」じゃん。
一発目は無人の山地とかに落として威嚇して降伏を迫れば良かったのに。
いやこれは理解というか理由はもう分かってますよね。落とした人らにはとっては日本の民間人なんてどうでもよかったから、原爆の威力の実証実験をしたかったから、当時の政治やら経済やらでアメリカは一刻も早く落とさないといろいろと損をするからです。めっちゃ明快です。
しかし高橋はそのへんの邪悪についてはこの本で一切疑問に思うことはなく、日本軍が徒に抗戦を続けたせいで自国の被害を拡大させたことだけを疑問視してます。「もし日本がもっと早く降伏していれば、多くの「餓死」は防げたし、アメリカは原爆を投下できなかっただろう。」と述べてます。
他の箇所では「ノイマンは無謀な「一億玉砕」から日本を救ったとも考えられる」とか言ってますし。
このへんは、私の戦争観原爆観からは、かなり遠い価値観だなああああああ~~~~~~~~~~~~~~~~と、感じました。
うーむ。「アメリカは原爆で日本人30万人虐殺して終戦に導いたおかげで一億人全員を死なせずに済んだ」って理屈の亜種なんでしょうかね。高橋のこの見解って。
いやいや私だってあの戦争で「日本は悪くない」とは微塵も思ってませんよ。
でもさー、あの戦争で愚かで頑迷で残虐だったのは日本だけじゃないじゃん。ドイツだってアメリカだってイギリスだってソ連だってみんなみんなひどいもんだったじゃん。全員じゃん。しかし中でもアメリカの原爆こそが最の悪じゃん。
違うんか?最悪は原爆でもホロコーストでもなく日本軍の降伏の遅さなんか?
これは決して「日本軍の降伏のタイミングは間違ってなかった」って意味ではなく、「高橋にとってはあの戦争についてページを割いてまでして訴えたい疑問が、そこなの?」って意味です。
高橋はノイマンを崇拝してるっぽい雰囲気があって、彼が「人間のフリをした悪魔」だと言うのも、な~んか、それは単に日本人に差別的だっただけのことを、虚無主義とかいうご大層な哲学ってことにして煙に巻きたいだけなんじゃねーの?って印象でした。
アメリカ人の「原爆投下は正しかった論」や「原爆で死んだ日本人なんてどうでもいいわ観」は私含む多くの日本人には受け入れがたいことですが、ノイマンも結局そうに過ぎなかったのを高橋は「そうじゃなかった」ってことにしたいだけなんじゃねーの?
あの戦争と原爆の話はとてもセンシティブなものであり、ノイマンの生涯を語る際にそこは避けられないのだとしても、この本では個人の見解を徹底的に排除して語るほうが良かったと思いますよ。この本は高橋の独自想像の歴史のIF話が多いのと彼の見解内容にはどうもすっきりしませんでした。
ノイマンがこの世のありとあらゆる人間に冷淡だったら人間のフリをした悪魔という表現は適切ですが、ただ味方に優しく敵に残虐なだけだとしたら、それは悪魔でもなんでもなくこれ以上ないほどに人間らしい人間です。