今週のかぐや様は、「かぐや様は告らせたい」は、同号の「かぐや様を語りたい」と併せて読むように構成されてるんでしょうかね?
週刊ヤングジャンプ32号 赤坂アカ かぐや様は告らせたい259話 「日常(2)」
今回の感想ブログは先に端的に言うと大体「良くなかった」って内容です。
なんつうか例えるなら、地盤がゆるい土地の上に土台基礎工事を特にしないまま建物を建てて、でもその建物の見た目は綺麗。って印象です。
やっぱりかぐやの「夢は写真家」って設定は何の積み重ねも無いところから出てきてて、読んでてもどうしても飲み込みにくいです。
そんな細かい事気にしなければいいって言えばそうなんですが、でもそれは私にとっては、土台工事がなってない建物を「建物は綺麗なんだから土台なんて気にしなくていいだろ」って言うようなものです。
彼女の写真家の夢は、本当に唐突過ぎる設定でした。
これは仮に彼女の夢が「チャーハンをおいしく作れる中華料理店をやりたい」とか「ラップを上手に歌えるラッパーになりたい」とか「白銀の似顔絵を上手に描ける画家になりたい」「ネイリストになりたい」「天文学者になりたい」「医者になりたい」などなど、どれだったとしても変わらないレベルの唐突さです。
こういうのって、彼女が写真家の夢を黄光に打ち明ける前から、作中で彼女がカメラや写真に興味がある様子を何度も何度も積み重ねてないと、やっぱりどうしても唐突&不自然に感じてしまいます。
で、それで今週の「語りたい179話」なんですが、単行本22巻当時の4月ごろにかぐやがエリカにカメラの扱い方のレクチャーを請う話でした。(今は7月か8月)
まさに原作で欠けてた積み重ねが、まさに今「語りたい」で始まりました。
「実はかぐやはこの時期にはもう写真に興味を持ってたんですよ」っていう。
私はこれは本当に当時の原作でやってほしかった話だと思いました。
今更ここで見てもどうしても「後付け」「建物を建てた後で地面の土台工事を始める」「遅きに失す」に感じて、妙に喉につかえてしまいました。
素直に消化できない私の心がひねくれてるのか、世の中の他の読者はどう感じたのか、それは全く分かりませんが、まーとにかくこう思ったのは私のありのままの感想です。
あとついでに言うと、雁庵が死去したというけど、あのヘリキャッチの夜以降、かぐやと雁庵が直接ちゃんと会話できる機会は無かったの?ってのもちょっと疑問に感じました。
この二人は「実はお互いに親子の情があった」っていう真相だったわけですが(これも後付け設定なのですがそこは今は置いといて)、だったら、余命いくばくもない父に最後にもう一度面会して、それこそ下手なりに二人一緒の写真を撮れば良かったのに。その機会は確実にあったのに。留学する白銀とはまた会えるけど父とはもう二度と会えなくなるのが分かってたのに。ってのも強く思いました。
で。さて。これはこのブログで何度も主張してることなのですが、私はかぐや様って作品に批判点を感じたときは遠慮せず言いたいと思ってるのと同時に、批判だけで終わりたくないとも思ってます。
今週のかぐや様にだって、それでもなお素晴らしいところはあったとも思ってます。
それはかぐやと石上の絆。
これ自体はこの最終回カウントダウンの中で見れて良かったです。
まるで白銀&藤原の特訓シリーズのように、かぐやの苦手を石上が克服させてあげるという。
なんでもこなせる天才かぐやがなぜ写真は、人物写真は、うまくできないのかというと、それは人の感情や表情に繋がる事柄だからであり、かぐやはまさにそれに苦手意識を持ってるけど、石上は「先輩はそれはすでにもうできていますよ」と、心を解きほぐしてあげる良い話で、これはきっと石上だからこそ言ってあげられることです。
初期の石上こそまさにかぐやのことを「人の心が無く他人を何とも思ってない恐怖の冷血女」と偏見で見てた第一人者でしたからね。
それが解けて、お互いに飾らない本心で話せるようになったのはいつごろからでしたっけね。「四宮かぐやの無理難題「燕の子安貝」編」が始まるころからかな。
そして今ではもう石上はかぐやをいじったり説教したり励ましたりもできるようになりました。成長したものです。
それを実感できたことが今週良かったところです。
私はかぐや&石上、白銀&伊井野の関係性が結構好きです。
完結までに「先輩くんと後輩ちゃん」も今一度、今週のこれみたいに、そのエピローグになるような場面も見たいものです。
あと余談。
石上って自宅では前髪にヘアピンしとんのかいな!?
お前なんでそこまでしてその髪型でいたいんや。
余談その2。
語りたいでかぐやに話しかけられるエリカのリアクションがなんかちいかわみたいでちょっとかわいい。