などなどブログログ

漫画の感想や日記などなどを。

謝罪文で「誤解を招く」「結果として」「指摘を受けかねない」って書く奴むかつく

ど~でもいい有名人がど~でもいい不祥事を起こしてど~でもいい謝罪文を発表することがよくあります。

 

どうでもよくない不祥事も多いですが。

 

あと自分が当事者だったら許せないけど自分はしょせん無関係なのでとやかく口を挟むことではないなあ~と思う不祥事も。

 

 

有名人とか組織とかが不祥事や炎上を起こして、その半日後くらいにネットでニュースになってその事実を知るってのがいつものパターンです。

 

不祥事を起こした人の存在をそのニュースで初めて知ることも少なくないです。誰?みたいな。

 

そして経緯を知ると、私個人の主観では「こりゃ確かに炎上するわ」と合点がいくものがほとんどです。

 

たまに「その人悪くないだろ」と思う場合もありますが、そういうときもたいていが、炎上は拡大せずむしろ逆に炎上させてやろうとしてた側が炎上するパターンになります。そういうのは逆炎上とでも言うのでしょうか。

 

最近でのその一例は「フェミニスト議員連盟とVTuber戸定梨香」問題ですが、それについては今回ブログ書きたいこととは離れるので省略。

 

そもそもフェミ議連は謝罪文なんて発表してませんもんね!

 

 

つまり何が言いたいかっつうと、炎上する案件のほとんどは「こりゃ炎上するわ」と確かに思うものであり、「これが炎上するのは変」と思うときも大体世間もそういう流れになるので、炎上するかどうかの基準は私の主観と世の趨勢とでそう狂ってないってことです。

 

だからって炎上案件の全てを肯定するわけではないですけどね。

 

炎上を起こす本人は、大体においてそれだけの悪いことや愚かなことや醜いことをやってます。

 

 

 

話を戻して、謝罪文。謝罪文を発表するわけです、本人のみなさんは。

 

その謝罪文がひどいのが多くね?ってのが今日書きたいブログの本題です。

 

むしろ謝罪文なんか出さずにだんまりでいたほうがマシなくらいなのが。

 

ど~でもいい人がど~でもいい炎上をしたところでしょせんは他人事。

 

しかしそいつが「世間のみなさん」に向けて駄目な謝罪文を出してしまうと、世間のみなさんの一人である私は、それまではその人に特別どうという感情も持ってなかったのに、途端に「まともな謝罪文も書けない不愉快なバカ」と言う強烈なマイナス感情を持ってしまいます。マジで逆効果。

 

不貞とか個人間トラブルとか他人がそう口出しするもんじゃない炎上案件でも、本人が世間のみなさんへの駄目謝罪文なんか発表しようものなら、世間のみなさんは炎上の内容については無関係者だったのに、その時点で「謝罪された側」となり無関係でなくなるという自縄自縛も発生してるような気がします。

 

 

で。私が思う特に駄目な謝罪文の例がブログタイトルに書いた「誤解を招く」「結果として」「指摘を受けかねない」の三つです。

 

これらは世の中のいろんな人がとっくに指摘してて今更なのですが、今回私もちょっと書きたくなったので書きます。

 

 

 

一つ目。「誤解を招く」。

 

これは、謝罪文の中にこの一言があるだけで、謝罪の信用性を完全に失うくらいの最悪手の禁句です。

 

理由はもう言わずもがなです。

 

この一言は「今回炎上が起きたのは、原因は私の言動ではなく、世間のみなさんが誤解したからです」という意志表明です。

 

そしてどこがどう誤解なのかは全く触れません。

 

マジで最悪。

 

なのに使うバカはいまだに多い気がします。

 

 

 

二つ目。「結果として」。

 

これも「誤解を招く」に匹敵するくらいの悪手。

 

「今回私はこんな言動やらかしました。結果として炎上することになりました」みたいな文脈で使われます。

 

この言葉は付け足す意味が無いうえに、付けることで自分の落ち度を軽減させる意思をほのめかすことになるので、マジで無いほうがいい言葉です。

 

「今回炎上したのは、問題になったのは、あくまで結果的なものですよ」という意志表明になります。

 

これも使うバカはいまだに多いです。

 

時には「結果として誤解を招いた」なんて最凶コンボも炸裂します。

 

 

 

三つ目。「指摘を受けかねない」。

 

これは文面ではなくテレビでアナウンサーがお詫びしてたときに聞いて「なんてバカな表現なんだ」と思った言葉でした。

 

何の番組だったのかは忘れてしまいましたが。

 

要するに「私達が間違ってました」という謝罪のときに「間違っているという指摘を受けかねない内容でした」と言ってました。

 

これは要するに「私達が間違ってました」と素直に言うことが死んでもいやだから、とにかく自分が認める非を少しでも小さく見せようとする、謝罪内容の矮小化の悪手です。

 

自分が誰かを怒らせて、実際自分のほうが間違ってたけど、でも非を認めるのは極力したくないという涙ぐましい努力の言葉です。

 

「私は謝ったら死ぬ病です」とわざわざ自己申告するのと同じです。

 

 

 

私はなんかもう誰かが謝罪文発表したときには、この三つが無いかをまず最初に確認するくらいになったような気がします。

 

使う奴ってなんで使うんでしょう?

 

企業とか芸能事務所とかなら「火消しの専門家」くらいいるんじゃないの?

 

いやそんなのいなくなって謝罪文を書いた奴は「この謝罪文で大丈夫かな?」って仲間同士で確認くらいしないの?

 

ひょっとして、世の中の人々はこの三つが別に嫌いじゃなかったりするの???

 

いやそれは無いですよね。

 

実際に駄目謝罪文をわざわざ発表したせいで再炎上してるケースありますし。

 

「誤解を招く」→「どこが誤解なのか言ってみろ!」→「……」ってケース。

 

マジでなんで使うんや???

 

 

 

この三つ以外にも駄目フレーズはまだまだあります。

 

例えは「とは言え」

 

「今回の不祥事はバイトがやったこととは言え、申し訳ありませんでした」みたいな使い方で、謝罪する側が「仕方無かったことだ」ってのを暗に主張する表現です。

 

 

他にも「お騒がせしたことを謝ります」ってのもあります。

 

お前が謝るポイントってそこなの?

 

 

あと最近の流行は「事実でないこともあり」です。

 

つい最近もとある声優が不貞を暴露されたときにそんな謝罪してました。

 

「報道された内容には事実でないことも含まれていますが、申し訳ありませんでした」みたいな。

 

これも、事実なところと事実でないところを具体的に説明せずに使うと超卑怯な表現になります。

 

 

ふう。以上、思うままブログ書いたらちょっとすっきりしました。

 

 

 

愉楽への手ほどき(字幕版)

愉楽への手ほどき(字幕版)

  • ファビエンヌ・バーブ
Amazon

 

 

スポンサーリンク