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あおざくら感想 体罰を美化してない?

週刊少年サンデー二階堂ヒカルが連載している「あおざくら 防衛大学校物語」、私は普段軽く読んでいるのですが、今週の話は「え?これっていい話なの?」と疑問に思いました。

 

今日のブログは批判的な感想を書きます。

 

 

さて。この「あおざくら」は防衛大学校を描く漫画で、同誌で連載されてる水産大学を描く「第九の波濤」と同じく、なんか、前に農業高校を描いてヒットした「銀の匙」の後追いってイメージがある作品です。

 

このこと自体は批判しません。

 

こういうことは他にも、かつて別冊月刊マガジンで「進撃の巨人」がヒットしたときに同誌で似たような世界観の作品が一時すごく増えた例があったし、そう珍しくないことで別に悪いことでもないと思います。雑誌に方向性や傾向ができるのは個性にも繋がりますし。

 

後追いだろうがなんだろうがつまんなかったら連載終わるだけなのはどの作品も同じ。

 

あおさくら(と第九の波濤)は連載が続いてるってことはつまらないなんて評価にはなってないってことだし、私も悪印象を持たずに読んでいます。そういやドラマにもなりました。

 

 

でも今回の話は強く疑問に思ったのでそのことは文章にして書いておきたくなりました。

 

今回の疑問点だけで作品全部を否定する気は全くありませんけどね。

 

 

 

まず経緯を説明します。

 

主人公の近藤は防衛大学校の2年生で、儀仗隊という校友会(部活)に所属しています。

 

儀仗隊は、大雑把に言ってしまえば、小銃を持ってパフォーマンスをする部活です。

 

バトントワリングっぽいですが、それより儀式的で規律的で、自衛隊の正式な礼式で行われるものです。

 

で、儀仗隊は今回とある式典に出場してパフォーマンスすることになりました。

 

そこで近藤はミスをして、銃を落として破損させてしまいます

 

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この銃はもう生産されてない貴重なもので、一本何万円も何十万円もするものだそうで。

 

(現実はともかくこの漫画ではそういう設定)

 

(方便かもしれませんけど)

 

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近藤は当然ながら「ミスした」「貴重品を壊した」「みんなに迷惑をかけた」と罪悪感で苦しみます。

 

そのけじめのつけ方が今週のサンデーで描かれました。

 

 

その方法は……腕立て1000回

 

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翌日の部活が終わった夕方、隊長(部長)の清川は近藤に居残りさせ、銃の弁償の必要はないが「学生間の取り決め」として、腕立て1000回の懲罰を「いかなる場合でも必ずやらなくてはならない」と、命じます。

 

近藤は当然文句も言わずその場で腕立てを開始、夕方から夜になるまで必死に腕立て1000回をやりました。

 

ボロボロになった近藤は仲間から手当やマッサージをしてもらって、仲間はみんな近藤のミスを責める気持ちなど一切無いことが描写されます。

 

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そしてさらに翌日、近藤は清川から呼び出されて「部活をクビになるかも」とか思いながら行くと(ちょっとみえみえ)、清川は自分の手持ちのモデルガンを近藤にプレゼントすると言います。

 

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そして「焦らなくていい」「俺の卒業式でベストな儀仗を見せてくれ」と激励し、近藤は感極まって涙を流しました。

 

……という話でした。

 

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私には今回のこれは理不尽な体罰にしか見えませんでした。

 

そしてそれを感動エピソードに捻じ曲げているとしか。

 

そう思う私のほうがおかしいのかは自分では分かりませんが、とにかく思ったこと書きます。

 

 

 

この「銃を壊したら腕立て1000回」は、即刻廃止すべき悪習だと思いました。

 

特に清川は近藤のミスを感情的にも実務的にも叱責する意志は無いって様子でいるにも関わらず、なのに体罰を与えてその後ねぎらうという、最悪な対応をしたと思います。

 

近藤は罪悪感でいっぱいなのだから、体罰を命じられたらそりゃ文句も言わずにやるでしょう。そしてその後で優しくねぎらわれたら泣くでしょう。

 

本当にこれは体罰肯定の心理メゾットでしかなく、私はゾッとしたんですけど、でも漫画内ではこれが感動的ないい話になっててすごい違和感ありました。

 

 

 

これが「学生間の取り決め」というのもひどいです。いや正式な規則でも駄目ですけど。

 

じゃあ学生間で廃止もできるでしょうよ。

 

清川はこのしきたりが妥当か不当かも考えず、ただしきたりだからと機械的に後輩に押し付けただけに見えました。

 

本当に近藤を思いやるのなら、「この取り決めは正式に廃止する」と唱えるべきでした。

 

体罰ではない別の形で近藤に責任を取らせる方法を考えて課すべきでした。

 

 

この漫画ではこれまでにもよく、防衛大学校には様々な、時には無意味にもただのパワハラにも見えるしきたりが多くあることは描写されてきたのですが、今回のこれは本当に100%純粋かつ強烈な体罰であることに、強い拒否感が湧きました。

 

清川は、苦しむ近藤を見て、自分もつらくなって、それで、一緒に腕立て伏せをやったり、手持ちのモデルガンを贈ったりと、激励(同情)の仕方がその場しのぎっぽくて「お前このしきたり自体はこのままでいいと思ってるの?」って質問したくなりました。

 

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自分が後輩に課しているマイナスが過剰である自覚があるから、身銭を切ってプラスを個人的に用意して中和させずにはいられなかったのでしょうかね。

 

まー、歴代の先輩が決めたしきたりを自分の代で廃止するなんて上に逆らうような決断、しかも防衛大学校では非常~に大変だろうってことは理解できますけどね。

 

 

 

またこの銃はもう生産されてなく補充も修理も困難であるって設定がこの体罰の理不尽さをさらに際立たせます。

 

となるとこの銃はこの先劣化する一方なので破損する確率はどんどん上がっていくだけです。

 

じゃあ、清川も、近藤も、未来の後輩にどんどん腕立て1000回させるってこと?

 

人間なら誰にでも起こり得るミスで。

 

ミスして運よく銃が壊れなかったら腕立て50回で、運悪く壊れたら腕立て1000回ってルール、これからも続けるの?

 

コイントスして裏が出る確率が年々上がっていく、これを?

 

 

 

私が今回思った疑問は「もともと防衛大学校はこういうところだろうが」で一蹴されそうな気もします。

 

それに私が清川の立場だったとしても「廃止しよう」と唱えるのはなかなかできないとも思いますし。でも「これでいいのだろうか」と悩みはします。

 

 

現実世界では自衛隊の組織内での悪質ないじめや暴力のニュースを時々見聞きし、前時代の体罰やパワハラが存在する世界という印象は、はたして先入観の偏見なのか、的を得た実態なのか。

 

今回は自衛隊組織の(現実に即した)暗部を暗部ではない感動的なものとして見させられたような違和感が、私はありました。

 

 

ただ、今回のこの話は、次回以降でこのしきたりに関して掘り下げる可能性もまだ否定できないのでそこは様子見です。

 

 

 

最後に繰り返しますが、私は今回のこれだけでこの作品を全否定する意志は本当に無いんですよ。普段はフラットに読んでます。

 

また自衛隊の存在自体に批判的スタンスでもありません。

 

組織の中の暗部を占める割合が世の中のいろんな組織や業界などなどと比較して高いとも全く思っていません。

 

あおざくら 防衛大学校物語 (18)

あおざくら 防衛大学校物語 (18)

 

 

 

 

 

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