本屋で今週のヤングアニマル見かけました。「ベルセルク」の作者三浦建太郎を追悼する特集号でした。
「言葉は無粋、ただ感謝のみ」と銘打って、ポスターやいろんな作家の寄稿の小冊子が付録についてます。
そういう展開をすることには何の文句もありません。
でも、私は、それだけじゃなくて他にも、YA編集部は、ひいては白泉社は、ひいては漫画業界は、すべきことってあると思います。
漫画家の健康を守ることと、長寿連載作品を無事に完結させる見通しを真剣に考えることです。
漫画ってのはエンタメであり芸術でありながら、商品であり商売であるわけで、私達読者はお金を払ってる客の側なわけで、売る側の「商品」の扱いについてなにかと思うこともあるわけです。
今日はそれをちょっと書きたいです。
ただ「金払ってる側」と言いつつも、最近の世の中はアプリなどなどでなぜか無料で提供されることも多く、なんかあんまり「こっちは金払ってる側だぞ」と豪語しにくくなってもいますけどね。
ましてや私は正直に打ち明けますがコンビニとかで立ち読みもする人間ですし、客と言っても偉そうなことはあんまり言える立場でもないかも。私だけでなくたぶん誰もが。
それに世の中には違法ダウンロードも蔓延してて業界のダメージが深刻な状態で、そのことに私は無関係ですがなんか忸怩たる思いがありますし。
(ところで立ち読みって行為自体はその小売店が禁止してなければ合法です)
それでもなお、思ったことは、たとえ偉そうでもやっぱり書きたいです。
さて。とま漫画は商売でもあるわけですから、YA編集部が追悼の商品を売ること自体は別にいいことだと思います。
「三浦の死を商売にするな」という意見も世の中にはあるかもしれませんが、私は否定しません。
でも商売と同時にやってほしいこともあります。それが先に述べた漫画家の健康と長寿作品の完結です。
彼の死、そしてそんな事態になった経緯や原因を可能な限り明確にし(そこを公表しろとは言いません)、YAに限らず業界の編集部は、漫画家個人の健康のケアにどこまで立ち入るべきか、何ができるか、本当に真剣に考えてもらって、委員会でも立ち上げて業界団体が明確なガイドラインか声明か何かを出してほしいくらいです。
三浦の死因は「急性大動脈解離」だそうです。
やっぱり根を詰めた長期のデスクワークが無縁だとは到底思えません。
そりゃ、漫画家ってのは人間ですから、連載途中である日突然亡くなることはあらゆるケースで普通にあって、どこからどこまでが漫画家の職業病のせいかを定義するのは難しいとは思います。
元から持病がある漫画家がそれで亡くなったり、事故、はては自殺ってのも本当に現実に起こってます。
それら全てを防ぐことをいち編集部に担うことは強引で無茶なことは承知してます。
でも。でもです。
決して若くもない漫画家に、それこそ大きな商売である大人気作の連載の契約をしてる組織が、できることって、何かあったんじゃないかってどうしても思わずにいられないんです。
健康診断とか、予兆や軽症のうちに治療を受けてもらうとか。出版社と編集部が三浦の死を予防するために、何をして何をしなかったのか気になります。
繰り返しますが、漫画業界は漫画家の健康に責任を取れとまで言ってるわけじゃないです。
でも、もうちょっと何か、はい漫画家が死にました、はい追悼の商品出しました、だけじゃなくて、「我々編集部は先生を全力でサポートしてきました」と明確に言ってほしくて、言える体制であってほしくて、またその活動を読者にも見える形でおこなってほしいです。
世の中には漫画家は掃いて捨てるほど大勢いて、その全員を編集部が面倒を見るのもまた不可能なことだと思います。
でもそれだってつまりは、作品が「ヒット作」「看板作」「長寿連載」になるに比例して漫画家と編集部の契約も大きくなっていくわけですから、そこに漫画家へのケアも比例して手厚くなってもよいのではないでしょうかね。柔軟に。
YA編集部にとって三浦の死は本当にとてつもない経済損失だったと思います。
長寿連載が未完のまま作者が亡くなってしまうというのは、あまりにも損失であり悲劇です。
で、今回の彼の死を見て誰もが思ったことだと思うのですが、他の、存命の、長寿連載を抱えているとても遅筆な漫画家達が、「彼ら彼女らも、遠くない将来に作品が未完のまま死んでしまうのではないか」という危惧が湧きます。
今年齢が50代60代以上の漫画家が、これから10年間以上も無事に執筆活動ができる前提で現状のままでいることは、あまりにも楽観的すぎるのではないか、と。
これはなんだか「お前ら年寄りの漫画家は自分が死ぬことをちゃんと考えとけ!」「完結させてから死ね!」と言ってるようで、それはそれで失礼というか心苦しい面もあるのですが、現実的なことだと思います。
漫画ではなく小説の例になりますが、「グインサーガ」の作者栗本薫は存命中に自らの死後には他の作家に物語を受け継いでもらいたいことを周囲に伝えてたそうです。
また「ゼロの使い魔」のヤマグチノボルは癌を患ったときに自作の残りプロットを完成させ、代筆者に完結を託しました。
漫画では他の作家に受け継いでもらうことは難しいかもしれませんけど、でも何かやりようがあるのではないかと思います。
ベルセルクのファンの人だったらどう思うでしょうか?
例えばこの漫画の魅力の一つは、恐ろしいほどの描き込みだと思います。戦争シーンの兵隊の行進をマジで綿密に描いてるみたいな。三浦がひとつひとつ自分で描いたという。
もしそういうところが簡略化されて、ページに余白が多かったり、絵の大部分が他人の筆によるものになったとしたら、「こんなのベルセルクじゃない」って思ったりしますか?
私だったら、そう思う面もあるけど、未完のまま作者に何か起こるより1億倍マシだと納得します。
そういうのも選択肢の一つだと思います。
今現在存在する連載中の長寿作品が、どんな形になっても、ちゃんと完結という形を取ってくれることを願ってやみません。
あ、でも、今このブログ書きながらふと思ったのですが、作者のほうが「不本意なものを世に出し完結させるよりは、たとえ未完で終わっても全部自分の納得のいく形で描き続けていたほうがマシだ」と思うこともありえそうです。
その場合はやっぱり作者の意向が最重要だから、第三者はやっぱりどうにもできないのかもしれません。
いろんな意味で悲しい話です。
ちなみにドラえもんやクレヨンしんちゃんみたいな完結の定義が薄いタイプの超長寿作品はまた事情が変わるのでしょう。きっと。
あと、全く関係のない余談ですが、似たような危機感を私はプロレス団体にも感じてました。
一時期、三沢光晴、橋本真也達が体を壊して続けて亡くなり、高山善廣も深刻なダメージを追いずっと闘病してます。
これは、業界は興行が苦しく、スター選手が無休で出ずっぱりにさせられた無茶がたたったものだと思わずにいられませんでした。
ただ今は棚橋弘至やオカダカズチカ達が新しい形の商売を構築しつつもあって、希望や改善の兆しを感じたりもします。リング禍は完全にゼロになってはないものの減ってきてるような。
漫画業界にもそういう兆しがあればなあー。