「首斬り人の娘」 オリヴァー・ペチュ著 猪俣和夫訳 ハヤカワ・ミステリ って本読みました。
ちょっと分厚い本で読むのは大変でしたが、良かったです。この「読むのが大変だった」には17世紀ドイツの地方都市やそこに住む人の描写が不快できついってのがかなり含まれます。
なんかさー、町の道端はうんこやおしっこだらけだしさー、住人は不健康で差別的で陰湿だしさー、冤罪受けてる女はひたすら可哀想だしさー、「中世のドイツはそうだった」と言えばそうなんでしょうけど、もう本全体の7割はそういう描写だったって体感で、かなりの不快感でした。
そういうのは日本の時代劇とかにも言えることですが、当時は薄暗くて薄汚かったってのが史実だとしても、それを念入りに描写してしまうと画面そのものが薄暗くて薄汚くなってしまうってもんです。
しかし、この本ではそういう陰湿な世界の先に、光るものはありました。
この「首斬り人の娘」は2008年のドイツの小説だけど2011年にアメリカでバズったというちょっと変わった経緯があるそうで、私はその日本語版を2025年になって読んだわけですが。
それでアメリカからの需要でシリーズ化したけど、和訳されてるのはこの第一作目だけだそうで。大ブームは日本には波及しなかったようでとても残念です。続編も読みたかったなあ。
さて。主人公は47歳の処刑吏(公職の死刑執行人)の屈強なおっさんヤーコブと、その娘の20歳のマクダレーナと、彼女に恋する25歳の町医者ジーモンの3人組。
小説のタイトルは「の娘」だけど別に娘マクダレーナがメインってわけでもないです。メインはヤーコブかな。そこはなんか肩透かし。美少女探偵大活躍ってわけでもなし。
で、この3人が自分らの住む町ショーンガウで発生した児童連続殺人事件に東奔西走する物語、なのですが、3人とも町の鼻つまみ者であることが事件解決をやたらと困難にさせてます。
処刑吏の一家は稼ぎは悪くないようだけど、町ですれ違った人は舌打ちして十字を切るようなことをしてきて、読んでていたたまれないです。
ジーモンは古い迷信治療より現代的な医学を重視する青臭い男で、そのことが迷信深い父親や町の一部の人々から蔑まれてるような感じ。
そのくせ町の人々は自分が病気になったらヤーコブやジーモンに助けてもらおうとして、かと言って「町では処刑吏を避ける風潮に仕方なく合わせてるけど内々ではヤーコブ達を評価してる」というわけでもなく、そういう人もいることはいるけど少数派で、大半の人はこの3人を心底軽蔑してるっぽいのがマジで不快。
特にマクダレーナは「首斬りの娘のアバズレ」とか陰口を叩かれてひどいもんです。
ジーモンはそんな彼女に恋をしてるからさらに白い目で見られる要因になってて……もう、本当に、クソだらけの町です。文字通りに。糞尿は街頭に垂れ流しの文化です。
ジーモンとマクダレーナは結婚したいけど、できなさそうな感じ。ヤーコブはジーモンの人柄は認めてるふしはあるけど結婚は許さないというスタンスで、その理屈は正直もっともです。
強引に結婚しようものなら住む町も仕事も失ってしまうのは確かに不可避。町の人々がクソなのもそういう時代だし、結婚の自由も職業選択の自由も低いのも時代。時代だからしょうがないけど、でも読んでて不快なもんは不快です。
続編でこのカップルがどうなるのか知りたかったけど日本語版でそれを読むのは無理っぽくて本当に残念です。
で、事程左様に不快な町で不快な殺人事件が起きて不快な住人と不快な犯人と必死に渡り合う3人の話が長々と続くのですが、「不快だからもう読みたくない」とはなりませんでした。
この3人が少しでも報われる結末にってほしい、冤罪で捕まって魔女扱いされてる善良な産婆の無罪が証明されてほしい、「頼むからそうなってくれよ」と願うような気持ちで読み続けました。
結果そうなってくれたのだから「ああ~、良かった~」と読み終えて心底安堵しました。そういう意味で読んで良かった本でした。
事件の黒幕は街の有力者の富豪、老獪な父親とバカなドラ息子の二人組でした。町で立場の弱い探偵や被害者が、権力者の真犯人にどうやって勝利できるのか、その駆け引きは納得のいくものでそこも見事な結末でした。
ただドラ息子は社会的ペナルティを受けることはなかったのですが、彼がらい病に感染したというオチのつけかたは強引で都合よすぎかな。らい病(ハンセン病)が天罰かのような描写もちょっとね。そこはこの本の印象マイナス点でした。
とまー、不快な点や不満な点もあった本なのですが、物語の流れは非常に納得がいったし、救われてほしい人が少しでも救われたことにはカタルシスがありました。埋蔵金のロマンもね!
ヤーコブは自分が埋蔵金の第一発見者になって、金貨をかなりいただいちゃったんでしょうかね!