ゾンビランドサガの登場人物の感想を一人一人じっくりブログ書いてます!
4回目は源さくらについて思ったことを。
この作品の主人公というかメインヒロインというか、そういうポジションの正統派ヒロインです。
しかし記憶を失ったり取り戻したりしてその都度人が変わる可変型ヒロイン。
(このブログは全て私の勝手な想像で書いています)
さくらは4種類います。
生前のさくら、ゾンビになって生前の記憶がないまま前向きにアイドル活動を頑張る光さくら、ゾンビの記憶を失い生前の記憶だけのゾンビ闇さくら、その全てが融合した真さくら。
私の勝手な命名です。
このアニメそのものというか幸太郎の仕掛けたゾンビランドサガプロジェクト、フランシュシュは全てさくらのために構成されたものでした。
彼女の意志とは無関係に。
基本的に、みんなに振り回されて「どやんすどやんす」と追い詰められつつも前向きに頑張る物語でした。光さくらが。
生前のつらい記憶がないぶん本来の自分の持つポテンシャルを何も呪縛されずに発揮できるのが光さくらの強みです。
ところでさくらを演じた声優の本渡楓の出演作で私が知ってるはなんか「振り回されるヒロイン」が多いような気がします。
あとそういえば、みんなが一列に座ってる図がよく出てきましたが、あの席順って、番号順でもないし、さくらが中心なのは納得だけど、どういう席順なんだろうと思ったことがありました。
6話で愛と純子がケンカになったときに、二人がさくらを挟んでケンカ始めてさくらが困り切ってどやんすしてたのがすごく面白くて印象的だったので、その演出のために愛と純子に挟まれる席順にしたのかなって思いました。
とまー頑張ってきた光さくらでしたが、10話で二度目の交通事故に遭い、生前のつらい記憶を取り戻し、ゾンビになってからのフランシュシュ成功体験や仲間との友情を完全に忘れてしまうという最悪のパターンで闇化してしまいました。
闇さくらが持ってるのは生前のつらい記憶と「死んだ」「ゾンビになった」って事実のみで、希望を持てってほうが無理。
そして「持ってない」のネガティブハリケーン。
闇さくらは光さくらとは真逆でとことんネガティブになってみんなを振り回します。
私はこのさくらの「持ってない」思考に関してはどうも懐疑的です。
私は9話以降はリアルタイムで視聴していましたが、11話と12話の間は続きが待ち遠しくて一週間いろいろ考えながら放送を待ってました。
11話を視聴終えた時点では、以前ブログにも書きましたが、さくらの「持ってない」思考は、彼女がそう思い込んでいるだけなのではないかと感じました。
おたふく風邪や受験失敗、どんな不運も誰にでも起こりうることです。
むしろさくらに災いをもたらしているのは何かに集中すると周囲が見えなくなる自身の性格のほうで、毎年の肉離れや二度の交通事故は、運の悪さも確かにありますが注意力の低さも影響してるのではないかと。
しかし12話では、不思議なタイミングで鏡が勝手に割れる怪奇現象や、佐賀観測史上最大の大雪でアルピノが一部倒壊したりと、確かに不運がさくらを襲いました。
私はその時はさくらは先入観に呪縛されてるんじゃなくて実際に不幸体質だったと思い直しました。
でもなあー。
12話から日が経って改めて思うと、不幸体質は確かにあるかもしれないけど、それでもさくらは先入観に囚われてる部分も大きすぎるんじゃないかと、今は思います。
冷静に考えると大雪なんてただの天気で、さくらやフランシュシュやアルピノだけじゃなくて佐賀全域で雪害が発生したわけで、それがさくら一人が呼び込んだ現象って言うにはちょっとスケールが大きすぎて非論理的です。
私が元々晴れ女雨女みたいなジンクスを全く信じない人間だからかもしれませんが。
そりゃ確かにフランシュシュはみんな極めて低確率な事故に見舞われてたりして不運な星の下の子たちではあるけど、そういうのを「なんらかのバイアスが働いた運命のせいだ」なんて与したくない気持ちがあったりします。
人はみんな幸運も不運もあり、さくらも本来そうで、不運が続くこともあるけど、それでも「私の人生は特別に不運だ」と思って生きてほしくはないというか。
まー個人的な感情なんですけどね。
ピーナッツのスヌーピーの名言で、「You play with the cards you’re dealt. (人は配られたカードで勝負するしかない)」ってのがあって、結局人は不運を嘆いても仕方なくて、不運続きだからって不幸と思うかは自分次第です。
なんかうまく言えません。
さくらには自分を不幸と思わないでほしい。つうか、さくらは決して不幸じゃないです。
ゾンビだけど生き返れて、アイドルになる夢を叶えられたんですから。
サイゲの広告で「アイドルにしてくれて、ありがとう」ってコピーがありました。
見た瞬間ジーンとなりました。
さくらにとっては、やっぱり生き返れてアイドルやれたことは幸せなことなんだと。
彼女は不運かもしれないけど不幸じゃないと思います。
幸太郎がそうしました。
さくら自身は「自分が生き返れたこと」というか「生き返ったのが自分であること」をどう思ってるんでしょうね?
そもそも日本で交通事故で死ぬ人は多いです。
言っちゃなんですが、さくらみたいな子なんて日本にたくさんいます。
佐賀の過去30年間だけで絞ったとしても交通事故で死んだ少女はたぶん何百人もいると思います。
そんな中で、なぜ幸太郎は生き返らせる少女に自分を選んだのか疑問に思ったりするでしょうか?
他のメンバーは(たえは別格として)「伝説の」がつく芸能活動の実績があるすごい子ばかり、サキだって芸能界と無関係ですがインパクトのある有名人です。
そんな中に、なーんにもない、持ってない、庶民で、ただアイドル志望だっただけの何者でもない自分が一人混ざってます。
生前の記憶とゾンビの記憶全てを持った真さくらは幸太郎に「なんで私を選んだとですか?」って質問するでしょうか?
幸太郎はもちろんはぐらかすでしょうね。
それは「フランシュシュにさくらが混ざってる」がそもそも根底から違ってて、真相は「さくらのためにフランシュシュが作られた」わけですから、幸太郎は答えません。
でも他の言い訳をでっちあげるのは簡単です。
だってそもそもさくら超美少女ですもん。
顔がいい。胸も大きい。勉強できて運動も得意。まさに正統派メインヒロイン。
こんなハイスペで「私、持っとらん」とか抜かして「お前いいかげんにしろよ」って言いたくなるくらい持ってる美少女です。
「メンバーには素人らしさも必要だ」「過去30年で佐賀で死んだ一般人少女の中でお前が一番いけると判断した」とか言うだけで、さくら本人はともかくフランシュシュ他の5人は誰もが納得することでしょう。
さくらのスリーサイズは88/59/90。身長158cm。
ちなみにグラビアアイドルの篠崎愛はwikipediaによると87/60/88だそうです。身長160cm。(本当?)
概算で、さくらは篠崎愛より巨乳で腰がくびれててお尻が大きいことになります。
持ってます!
さくらと、あと愛は本当にオーソドックスな美少女デザインで、他は全員髪型とか色とか結構奇抜で癖が強いです。
私にはそれが逆にさくらと愛は特別な役割を持ってそうなデザインに見えました。
事実さくらにとってアイアンフリルの愛は特別です。
さくらの「自分を変えたい」「アイドルになりたい」という願いの根幹にいる子です。
憧れの雲の上の夢のカリスマのアイドルが今自分と同じチームにいると知った真さくらの胸中はもう想像もつきません。
自分が死んだ数か月後に彼女も死んでたこと、彼女と自分が対等の関係になってること、今一緒にアイドルやってること。
喜んだらいいのか泣いたらいいのか。
このへんのドラマだけで劇場版一本作れそうなくらいですよ。
劇場版。
さくらは幸太郎の真意を何も知らないまま(私も勝手に推測してるだけですが)、自分のためのフランシュシュの中でフランシュシュのための自分であろうと頑張り続けることでしょう。
続編があったとして、さくらが幸太郎の正体に気づく話があってほしいような、ほしくないような。
以下余談。さくらの服って胸を強調するデザインですごいですよね。
滑り止めで受かった高校の普通の制服みたいですが。
まるで一昔前(ちょうどさくらが死んだ頃)のギャルゲーに出てくる制服です。
今はあれがさくらの普段の外出着になってますが、地域の人々がそれを見たら「1号ちゃんのあの服、〇〇高校の制服っちゃなーい?」と気づかれないか心配です。
さらにどうでもいい余談。
4話でさくらの素敵な足湯アングルがありましたが、「メイク落ちないの?」とネットでみんな疑問に思ってました。
納得のいく説明ができるとしたら、仮説は二つ。
一つ目。彼女達に使われている「塗料」は水には溶けるけどお湯には溶けない物質である。
そんな物質この世にあんのかよって疑問はフィクションだからってことで。
でもどうせフィクションなら二つ目。
幸太郎がメイクを施すか、あるいは幸太郎の用意した道具で自分でメイクをすると、顔をメイクしただけで全身の肌も迷彩化できる魔術的な追加効果がある。
それなら、彼女達はメイクのたびに毎回全裸になって幸太郎に全身ペイントされてるの?って疑問も解決できますよ。
どうせネクロマンシーが存在する世界観なんですから、そういう都合のいい魔術的化粧があってもいいじゃないですか。
なので、顔のメイクさえ無事なら全身は濡れようが擦れようが関係なく、雨とかで顔のメイクが落ちただけで全身の迷彩も消えてしまうわけです。
うん、辻褄が合います。
全裸にペイントされてるって設定も魅力的ではありますけどね!