ゾンサガRの各話感想を遅れて書いてます。
私はこの作品好きだし素晴らしいと思ってるのですが、不満なところや「これおかしくない?」って思うところも無いわけでは無くて、この10話ではそれが結構目立ったので、今回の10話感想ブログは思い切ってそういうところを書いてこうと思います。
批判とかネガティブ感想なんてそんなするもんでもないってのは理解してるんですけどね。
特に好きな作品では。
でもこのブログは私のブログなのでやっぱり自分が書きたいと思ったことを遠慮する必要なんて無いです。
ただ。不満点があるからって私はこの作品を貶めたい意志は全く無いってことと、本当に好きな作品なんですってことは、改めて強調しておきたいです。
1期2期最終話まで視聴した上でこのブログ書いてます。
さて。私の主な不満点は、是非やってほしかった話が無かったことです。いくつかありますが10話はなんか特に。
これは私が勝手に期待してただけのことですから、他の人にとっては「知らんわ」ってなるだけかもしれませんが。
1期ではさくらは生前の記憶を失った状態でアイドル活動を始め、終盤でその記憶を取り戻すけど逆に死後の記憶を失い、最終回アルピノライブの最中で両方の記憶を取り戻して完全体になりました。
私は、全ての記憶を取り戻した彼女が、今の自分の境遇についてどう思ってるのかをガッツリしっかり語るところが見たかったです。
つまり今のさくらは愛をどう思ってるのかについて。(「幸太郎を」については次の11話で感無量でした)
生前のさくらは「もっとらん」少女。不運続き。
ところで彼女の一つ一つの不運は人間なら誰にでもあることで、私は彼女は「もっとらん」ジンクスとすぐ周囲が見えなくなる悪癖に囚われてるに過ぎないんじゃないかとも思ってるのですが、でも作品では明確に佐賀には呪いが存在すると言ってて、彼女が死んだのは誰にでもある不運なのかそれとも呪いのせいなのかちょっとまだ自分の中で整理がつかない状態です。
普通レベルではない不運に遭った純子や愛は本当に呪いに殺されたの?
ま、それはさておき、生前のさくらはネガティブで無気力になってましたが、それを救ったのは生前のアイアンフリルの愛でした。
愛に憧れ彼女に近づきたい一心で再起したところで事故死して、そして12年経ち、気が付くと自分のすぐ隣にその愛がいるんです。しかも愛も死んでてゾンビになってるんです。
それって、全ての記憶が繋がったさくらには、途方もないほどのショックな出来事だと思います。
自分が死んだ4ヶ月後に愛も死んでた!しかも佐賀県内で!
一緒にゾンビにされた!
愛が誰か分からないまま一緒にアイドルグループを組んで仲間になってた!
その記憶が全部頭の中に飛び込んできた!
悲しめばいいのか喜べばいいのかとても言い表せない混乱の極致だったと思います。
私は1期のときから「全ての記憶が戻ったさくらは、目の前にいる愛に何を思い何を言うだろう」って結構ずっと思いを馳せてました。
でも2期の1話ではその時期の話自体がありませんでした。
いきなりフランシュシュメンバーが外に働きに出てるシーンから始まり、1期最終回の時点から数ヵ月間の話はカットされてダイジェストになってました。
そのときは私は意表を突かれたこともあって、期待してたシーンが無かったことにそれほど不満は持ちませんでした。
しかしこの10話の前半は1話ではダイジェストになってた時期の顛末がざっと描かれました。
だったらそこに「さくらと愛の話」を、せめて数秒でもいいから入れてほしかった!って改めて思ったのでした。
見たかったなあ~!
あとついでに10話では幸太郎が駅スタライブを強行した理由が結局分からなかったのも、結構消化不良でした。
「このプロジェクトは時間が限られてる」とのことですが、どう限られてて、駅スタが成功すればどう「佐賀を救う」ことになるのか、少しは語ってほしかったです。
「フランシュシュを伝説にして佐賀を人々の心に刻み付ける」のが目標なのは分かったけど、それになぜ駅スタが必要なのか?
この作品は謎や設定が逐一詳しく語られるようなタイプではないことは承知の上ですが、ここは知りたかったことでした。
あの場所と3月8日って日付には別に深い意味は無いのかなあ~?
と。以上がだいたいの不満点。
次にこの作品自体の変だと思うところ。
これはたぶん多くの人がとっくに指摘してることかと思いますが、幸太郎が超有名人の紺野純子や水野愛をそのままの姿で別人としてデビューさせたことです。
普通に考えたら活動が成り立つとは到底思えません。
しかし、例えば世の漫画やアニメなどなどでは、変装しようとして、カツラをかぶったりするだけで、すぐに他人からは別人と認識されて簡単に変装が成立するみたいなことってあるじゃないですか。
そういうの自体は別に何も悪くありません。その作品がそういう世界観ってだけです。
ゾンサガも割とそういうタイプです。
他には例えばたえがブレイクダンスで首が回るヘッドスピンしても観客がおかしいと思わなかったり。バイトの就職できたりバイク運転出来たり。
繰り返しますが細かいことを気にしない世界観がゆるいタイプであること自体は本当に大いに結構なんです。
しかし大古場記者は1期の終わりで純子たちの顔に気づいてしまい、取材開始してゆうぎり以外全員の身元を特定してしまいました。
ええ~!?そこだけいきなり世界観がシビアになるの!?って思いました。
そんな設定にしちゃったら、幸太郎が純子たちをそのままの顔でデビューさせたことが、本当に無策の無謀でやったことになっちゃいません?
世界観の急激なギアチェンジに結構戸惑いました。
なんつうか、「足を崩して楽にして座ってていいよ」って言われてそうしてたら急に「正座しろ!」って言われた気分というか。
そして10話の大古場の糾弾というのも何かピントが変だなあ~と思いました。
幸太郎のことを「死者を蘇らせて私利私欲のために彼女らを利用してる」と言い出して、いやいや私利私欲ってのはどこから出た話なのよ。
その根拠が乏しいことも変なのですが、それより「死者蘇生を悪事に利用してることを糾弾したい」とかいう以前に、まず「死者蘇生の術が存在している」ことが超超超大ニュースじゃないの?
もしかしてこの世界観では徐福のような何らかの特殊能力を持った人の存在はそう珍しくなくて、ゾンビが発生するのも世の中的には「ありえなくもない事件」として認識されてるとか?
まさかネー。
とま、以上こんな感じです。
私は何かの作品を鑑賞して感想ブログ書くときは、いいところも悪いところも両方書きたい人なのですが、ゾンサガは、いつも良くて、たまにひっかかる点があっても普段なら「これは書くほどじゃない」と思ってスルーしてたことが、この10話ではなんか妙に浮上したのでした。
あとはー。10話で他に語りたいところと言えば。
愛とサキと純子の3人の会話がすごく良かったです。素の友達同士って感じで。
純子は生前友達なんかいない(作る余裕もない)生活だったと思うし、愛は旧アイアンフリルを、サキは初代怒羅美を吹っ切れて、新しい友ができてよかったねって普通に思いました。
大古場が告発記事を送信するまさにその瞬間に大停電が発生したのは呪いのせい?
でも呪いさんにとっては大古場がフランシュシュを潰してくれたほうが都合が良さそうな気もします。
あのタイミングの停電はフランシュシュのピンチを救いました。一方で徐福を弱らせてもいます。
謎です!
大古場が集めた写真で、さくらの表情が死んでるのがちょっと芸が細かくて面白かったです。
高校入学時の生徒写真なわけね。
そしてOL戦士山田たえ。これはウルトラジャンプで語られる物語っぽい。それを大古場はどこかで知ったってことになり、そのときに大古場は佐賀の呪いの存在をも知った???