私が今使ってるマウスはロジクールのM325というやつなんですけど、ここ数日で急に調子が悪くなりました。
ホイールを回転させたときの反応が著しく鈍くなりました。
完全に反応しなくなったわけじゃなくてちょっとは反応するのがまたもどかしい感じで。
特に下方向に回転させたときに反応しなくなることが増えました。
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5月31日は後妻の日ですね。
後妻の日の由来は諸説あります。
一説には古代ローマの神々の後妻ゴサイに感謝を捧げるための祭りが期限になっているとか。
日本では1950年代から後妻の日が定着していったようです。
あなたも今日は後妻さんに普段はなかなか言えない「ありがとう」を伝えてみませんか?
すいません嘘です。
ちょっと思いついただけです。
後妻の日が存在するかどうかも知りませんすいません。
ただついでなので後妻にまつわる他のことを書いてみようかなと思いました。
ここからは嘘はついてません。
後妻は「うわなり」とも読みます。
そして知る人ぞ知る日本の昔の風習が後妻討ち(うわなりうち)です。
私は昔タイムスクープハンターで後妻討ちの存在を初めて知りました。
文字通り後妻に討ち入りする行事です。
討つ人はもちろん前妻。
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最近時々聞くニュースですが、全国の公立図書館で学校史や学校記念誌が切り取られたり破損しているのが見つかるという被害があったそうです。
まず、記事によると日本には公立図書館は3261館あるそうです。
そのうち被害があったと報告があったのが65館。
2%くらいです。
2%が多いのか少ないのかわかりませんけど、そもそも被害は0%に越したことはないから2%は少ないからそんなに深刻視することないと言いたいわけではないです。
ただなんか、館内の蔵書で破損されているものが学校史だけに集中しているとはどうも思いにくいんですよね。
私は時々市内の図書館に行きます。
かなり規模が小さいほうだと思います。
そこでもどんなジャンルの本にも破損(落書きや折り目や何かこぼしたあと)はあるように実感してます。
具体的な割合はちょっと頭に浮かびませんが1%以下だとは思います。
それに昔は綺麗だったとか最近になって増えたとかも感じません。
調査したという3261館の図書館では学校史以外の蔵書で破損してる本はどれくらい見つかるものなんでしょう。
学校史だけが突出して多いんでしょうか。
あといつ破損したのか時期は特定できるものでしょうか。
どうも毎日新聞は記事を「全国の図書館で学校史だけを狙って破損させている犯人がここ最近になって急に増えた」という印象にしたくて、それに都合のいい情報だけをピックアップして記事を作ったんじゃないかとつい勘ぐってしまいます。
違ってたらすいません。
どうもなんか疑ってかかってしまいます。
マスコミ不信病かな私。
図書館の本の破損って全体でどれくらいあるの?
そのうち学校史の割合はどれくらいなの?
こういう記事書くんならそこまでちゃんと書いて欲しい!
私は交通マナー悪いやつ見かけるとよく「死ねばいいのに」とか思ってしまいます。
他の人はそういうことどれくらい思っているものなのでしょうか?
「死刑にしてもいい」とかいっそ「自分でひき殺しても無罪にしてくれればいいのに」とか思っちゃったりするでしょうか?
私は正直に言って思うことがあります。
でも最近ニュース見てちょっとゾワッとしました。
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ダグラス・アダムスの法則をいうものを初めて聞きました。
・人は、自分が生まれた時に既に存在したテクノロジーを、自然な世界の一部と感じる
— ultraviolet (@raurublock) 2017年5月22日
・15歳から35歳の間に発明されたテクノロジーは、新しくエキサイティングなものと感じられる
・35歳以降になって発明されたテクノロジーは、自然に反するものと感じられる
ダグラス・アダムスの法則
このツイートで見かけたのですが、「ダグラス・アダムスの法則」でぐぐってみても出てこなかったので、ツイート主さん自身がSalmon of Doubtという本から紹介したもののようです。
「なんかそんな感じするー」とちょっと共感を覚える法則だと思いました。
全部の人が当てはまるとは思わないけどだいたいなんとなくそんな感じがするっていう。
世の中には80代とかの高齢者でもスマホやネット使いこなしてる人もいるけどそれはやっぱり少なくて、どういうものかわかんないくせにというかわかんないからこそスマホやネットをえらく敵視してる高齢者を新聞とかでちょくちょく見かけます。
「もうトシだから最新のものにはついていけない」って素直に言える高齢者のほうがよっぽど頭が柔軟に見えるくらいに、いかにスマホやネットが嘆かわしいものかを熱弁してます。
そんなもんなんでしょうね。
ま、それはそうとツイート読んで一番印象に残ったのは人は生まれたときからあるテクノロジーを自然の一部だと感じるというところです。
前々からちょっと思ってたことと自分の中で合致した感じがしたんです。
それがブログタイトルの怪談のことです。
昔から怪談とかホラーは一定の需要があって、子ども向け雑誌には連綿とホラー漫画が語り継がれています。
その題材が時代のテクノロジーと同期してるんだなーっていうのが思っていたことです。
呪いの新聞
呪いの電話
呪いのテレビ
呪いのVHSビデオテープ
呪いのパソコン
呪いの携帯
呪いのDVD
呪いのアプリ
…などなどといった感じです。
そもそもホラー漫画というものがおおむね子ども向けのものとはいえ、今いい年した大人だと「呪いのアプリ」なんていう怪談をまず怖がったりしません。
それはアプリ(スマホ)と言うものが自分がいい年になってから発明されたテクノロジーだから自然の一部ひいては森羅万象的なものと感じなくてそこに幽霊やオカルトへの恐怖が本能的に繋がらないからでもあるなんだなー、と今回思ったわけです。
例えば、恐怖新聞は70年代の作品で新聞はもう世の中の当たり前のものだから当時も怪談のモチーフになりえました。
リングの貞子のVHSビデオテープは物心つくまでにVHSがあったかなかったかの世代の違いで「呪いのビデオ」に恐怖できるかどうかの違いがありました。
私自身がいい年になってから子ども向けのホラー漫画をちょっと読む機会があったときに「なんでこんなに荒唐無稽に感じるんだろう」と疑問に感じて「たぶん生まれたときからあるものにしか恐怖を感じないんだろうな」となんとなく思っていました。
それが今回ダグラス・アダムスの法則を聞いてその印象と合致してすごくスッキリしたというわけでした。
壊れた自転車を1台捨てなきゃいけなくなって、いろいろ考えたところ市内指定ゴミ袋におさまるくらいに小さく分解して不燃ゴミに出すことができれば一番いいかなと思い至りました。
それで金属切断できるのこぎりを買ってみました。
アマゾンで1188円でした。
果たしてこれで自転車を切断できるのか?
安いし、ものは試しだという気持ちでした。
結論から言うとちゃんと切断できました。
以下はその様子です。
分解したいのはこの自転車のフレームで、素手や持ってる工具では分解できなかったステムとかチェーンリングとかもついてます。
これをゴミ袋に入るサイズにしたいわけです。
それでこののこぎり、ZハイスパイマンP1.4を起用!
この商品は刃を納める鞘というかカバーと言える部品が特にありませんでした。
強いて言えばこの紙がカバーです。
まあそれでも別に問題なさそうので、この紙のカバーにOPPテープを巻いて補強してこのまま鞘として使っていくことにします。
鞘から抜くとこんな姿をしています。
刃はコバルトハイス鋼というものだそうです。
それでさっそく切断を試したところ、あっさりといけそうな感触がありました!
どんどん刃が入っていきます。
もちろんそれなりに腕力は必要ですが、すんなりと切断成功。
木を切断するのこぎりと同じで引くときに力を入れます。
切断面はこんな感じでした。
自転車のフレームのパイプってそんなに分厚くなかったです。
厚さ5mmくらい?
切断したのは7箇所だっけ、総作業時間は30分くらいでした。
私は腕力に自信がないんですけど、それでも予想より楽でした。
めでたくゴミ袋に入れるサイズにまで解体することができました。
あ、ちなみに自転車は確かアルミフレームです。
スチールだともっと骨が折れるんでしょうけど、商品説明には切断可能とあります。
使い終わったらのこぎりの刃に軽くミシン油を塗って拭いてまた紙の鞘にしまって保管します。
これはいいものでした。
耐久性はまだわかりませんが、今私に必要な機能を満たしてくれてまさに満足。
もしすぐだめになっても値段的に考えても大きく落胆することはなさそうです。
ところで自転車の車輪のほうがまだ解体できてません。
試し切りだけしたらいけそうな感じだったので切断しようと思えば楽にできる感じではあります。
ただ、解体せずに何か楽に処分する方法があればいいんだけど…それはまた別の問題ですね。
昨日のブログ書きながら別のことも思ったので今日はそのこと書こうと思います。
一緒の記事にして書くと私の頭がとっ散らかりそうでしたので。
↑昨日のブログは、↓このニュースの感想でした。
このニュースはテレビでもやってて、私が見たのは数日前の夕方のニュースでどの局だったかは記憶が定かではありません。
男性キャスターと女性コメンテーターが話していました。
キャスターがニュース読み上げてコメンテーターが発言を求められて…
「村田選手は判定に抗議せずに受け入れていて潔いですね」
「スポーツマンシップですね」
みたいなコメントしたんです。
言葉の細部は正確ではありませんが、骨子はこういうことを確かに言ってました。
それがどうにも疑問ですごいひっかかったんです。
スポーツ選手が不可解判定をされたときに抗議しないことって、美徳なんでしょうか。
抗議したら「みみっちい」とか「おとなげない」とか言われちゃうんでしょうか、やっぱり。
そのスポーツの協会のおじいさんの偉い人が苦言を呈しちゃったりする?
品格とかなんとか言って。
まあ、選手本人からだとなんかちょっと言いにくいってのは分かります。
誰が見ても明確な結果で勝てれば良かったのに微妙な判定展開にさせてしまった時点で自分の力不足だからもうしょうがないって感覚があるような気もします。
でも監督とかセコンドとかの人はもっと物を言ってもいいのにってどうも思ってしまいます。
なのにこういうテレビのほうが率先して「沈黙することのほうこそ美徳でありスポーツマンシップ」だってことにして言いにくい風潮を支援してしまっていませんか。
他にも世界大会で日本人の優勝の多い競技の協会の偉い白人たちが日本人に不利になるようなルール変更をしたみたいなニュースもたまに聞きますが、「沈黙が美」って意識がこういうときに物を言える発言力を奪ってないかなあ。
私自身はスポーツのことじゃないけど誰かと何かの交渉するときに自分の話し下手が出たりつい遠慮したり言いそびれたりして不満足な結果になることがあって、そういうときに悔しい思いをしてしまいます。
有名だったり大舞台に挑んだりしてるアスリートが試合内容ではなく誤審への対応の仕方で釈然としないことになってるのを見るとなんか失敗したときの自分と重ねてモヤモヤしてしまいます。
私はもっと図々しくなりたい。
勝負の世界にいる人にも図々しくあってほしい。