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「天使と悪魔」も小説と映画がっちり鑑賞してしまった

ダン・ブラウン著「天使と悪魔」 角川文庫 越前敏弥訳 って本読みました。そしてネトフリで映画もみました。

 

こないだダ・ヴィンチ・コードで「小説と映画両方味わうぞ!」をやって、結局天使と悪魔でもやりました。

 

こりゃもうこの夏の間にロスト・シンボルインフェルノも読んでやろうと思います。ネトフリでインフェルノの映画もみれるそうで。でもロストシンボルのドラマはネトフリには無いそうで残念。

 

猛暑の間はパソコンやスマホ使う時間を減らして紙の本を読む時間を増やすようにしてます。

 

それでこないだなんとなくダヴィンチコードを手に取って、ついでに映画もみて、すごく楽しめたのでもう今年の夏はダン・ブラウンの本読んで過ごすことに決めました。

 

で今回の天使と悪魔も小説を読み終えてから映画をみるぞ、と。

 

鑑賞したところダヴィンチコードとはかなり違った印象でした。

 

 

まずは小説の感想。

 

天使はダヴィより前の作品なので順序は逆転するのですが、たぶんダヴィが世界的ヒットした当時も天使を後から読んだ人のほうが圧倒的に多いんでしょうね。そういう記念すべきラングドンシリーズの第一弾です。

 

 

 

読んだ感想としては、素直に面白かったです。誰が真犯人か分からなくて、というか誰が真犯人でもおかしくなくて、何度もどんでん返ししてるのがいかにもって感じで、「お約束」の王道パターンを見れた満足感が妙にありました。

 

真犯人のカメルレンゴの狂気も良かったです。「いくらなんでも暴走しすぎだろ」って印象もまた面白さに繋がってると思いました。

 

いや~すごいなあいつ。前教皇もすごいけど。彼らの無茶っぷりも面白かったです!

 

 

 

で、読み終わって次は「解読書」だという「天使と悪魔の真実」って本も読んでみました。

 

それによれば、天使の作中の「事実」はかなりの部分が創作なのだそうです。

 

ベルニーニがカトリック教会を欺く彫刻を計画したとか、ガリレオが英語ができて図表を残したとか、設定自体にかなりの創作……露骨に言えば嘘があるのだとか。なるほどねえ。

 

まーなんでしょう。歴史もののフィクションで史実に忠実しなくてはいけないルールはなくて、なにをどう設定しようが作者の自由です。なんの問題もありません。

 

「逃げ上手の若君」だってそうですしね。五大院宗繁は太平記では野垂れ死にしたとありますが、本編では時行に討ち取られてますし。

 

でも天使の場合は、冒頭の「著者注記」は非常にネックです。ダヴィよりもかなり。

 

 

思いっ切り「全て事実に基づいてる」って断言しちゃってます。これさえなければどんな荒唐無稽な設定でも「フィクションのエンタメですから」で通るのに、これがあるせいで科学や歴史や宗教の専門家から余計な反感を招いてたっぽいです。

 

さもありなんで、私も同感です。この作品は冒頭の著者注記さえなければ完璧だったと思います。

 

 

 

そして次は映画をみました。

 

2009年、トム・ハンクス主演。

 

これは映画のダヴィが大ヒットしたのを受けて作られた続編であり、映画版ではダヴィのあとに天使事件が起こったことになってるんですね。

 

 

 

そして何より、めっちゃ原作改変されてました。

 

そのことにかなり驚きました。

 

ダヴィの映画版でも「小さくまとめられてるなあー」って感じだったのに、これはそれの比じゃなかったです。

 

コーラーとレオナルドとBBC記者は存在がカットされてるし、ヴィットリアには反物質を生み出して盗まれた責任は薄いし、ハサシンとは戦わないし、教皇候補は一人助かるし、もう別物。

 

中でもカメルレンゴの全世界へのスピーチがカットされたのは、もう、私には、一番肝心な部分が骨抜きになったとしか思えませんでした。あそここそこの小説の最大の見せ場なのにい~。

 

こりゃ~、ちょっとね、スケールダウンしすぎた映画でした。

 

原作を読まずにみたら楽しめてたかなあ~?

 

わかんないです。

 

 

というわけで今回の「小説と映画両方鑑賞する」は残念ながら小説を読んでしまったことが映画を楽しむ妨げになったという残念な結果になしました。私にはね。

 

でもこういうことがあるからこそ、両方を鑑賞するのは楽しいんです。空振りがあるからホームランだったときの感動もでかくなるんです!

 

なので後悔は無し!

 

 

 

 

 

 

 

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