光文社文庫 夢枕獏著「獅子の門2 玄武編」「獅子の門3 青龍編」って本読みました。続けて。
3には子犬を殺すシーンがあり、非常にショッキングです。知らずに読むのには注意が必要なほどかも。
今回は主にそれについて思ったことを書きます。
結論を先に言うと、読んでてすごい拒否感があり、しかし「言ってることは筋道が通ってる」と納得できる部分もあり、その両方を感じました。
久我重明というキャラクターに惚れ込み、その登場作をしっかり知ろうと思って読み始めた「獅子の門」シリーズ。
なんか世の中で久我重明ってキャラクターを知ってる人って、「キャラクターは知ってるけど、作品を読んだことは無い」ってのがほとんどじゃないでしょうか?
かろうじて漫画版「餓狼伝」か漫画版「ゆうえんち」を読んだことはあるくらいで。私自身がまさにそうでした。
しかし私はそこから一歩進んで真の久我重明ファンになりたいです。
で、本作ですが、すごいです。読みやすいし、かっこいいです。
久我以外にもいいキャラクターが何人もいました。
3巻まで読んだところでは羽柴彦六や芥菊千代がなんか気になるキャラ。
昭和末期の古い小説で、さすがに古臭い部分もあるですが、古さを感じさせない部分も多いです。
菊千代が泣くシーンの心の機微とかは、今の時代に読んでも非常に共感するかと。
で、古臭い部分の代表格が、この、犬を殺すシーンかと。
実は読む前からそういうシーンがあることだけは知ってました。「久我重明」のウィキペディアに載ってたので。
重明は、弟子の志村礼二に野良犬を拾って飼うように指示し「かわいがってやれ」と言い、犬が懐いたころにその犬を殺せと志村に言います。
志村は苦悶のはてに犬を殺します。
あまりにも残虐。
戦士と戦士が殺し合いするのとはわけが違います。
しかも殺す過程を数ページ使って結構念入りに描写してて、本当に読んでて拒否感があります。
今の時代だったらこういう描写を出版することはもう不可能だろうなって気もします。
しかし私はこれで久我重明って人物に幻滅したのかというと、そうとも言い切れない気持ちだったりもします。
もともと残虐な人だと思ってたし、ネットで久我重明をネタで面白がってる人々に対して「本当の重明はシャレにならないくらい残虐なんだぞ」って言いたい気持ちもあったりして。
犬を殺す行為を肯定する気持ちは無いんですけどね。
なぜわざわざ犬を殺すのかというと、まさに志村に残虐性を身に付けさせるため、らしいです。
志村は自分の同年代の加倉文平に勝てず、そのことが悔しくてたまらず、重明に「俺を弟子にしてくれ」と懇願してそうしたのですが、どうしても甘さというかゆるさが抜けず、それをそぎ落とすために重明はそうさせた、って感じっぽい。
読んでるとそれには一定の説得力のようなものを感じてしまいます。
しかも、子犬を殺すと言っても、「人間がか弱い動物を一方的に惨殺する」というのとは程遠く、犬が強くて抵抗も凄くて、なかなか死ななくて、志村は殺すことに非常に苦労して発狂寸前みたいになります。
「犬が決してか弱い存在ではないこと」「人間は素手では子犬一匹殺すのもろくにできないこと」「これが最初から自分に敵意を持ってる大型犬だったら志村は普通に死んでたこと」などなどの事実が、ただ残虐なだけのシーンではなく、なんつうか、本当に人が人間性を捨てて冷徹で残虐な闇拳法家になるためには必要なことなのかもしれない、とか、私は妙に納得した感じにもなってしまいました。
しかしやっぱり犬を殺す行為を認めたくない気持ちが同時にあって、非常に複雑な印象です。
うーむ。この作品は決して手放しで人に推薦しません。
しかし私はやっぱり結末まで読み続けたいと思いました。
久我重明のファンになりたいとかいう浮かれた気持ちは失せたかもしれません。が、彼への畏怖のような感情は依然強く、重明や志村がどんな結末を迎えるのか非常に興味が湧いてきました。
つづく!!!