平凡社新書 津堅信之 「京アニ事件」って本読みました。
2019年7月18日に京都アニメーション第一スタジオで起きた放火殺人事件について、アニメ研究家がその視点や専門知識で書ける事を書いたって感じの本です。
この事件の特徴というか異常性というか、それをいろんな方面から詳しくまとめたり著者の意見を語ったりしてる本で、なるほどと思いながら読みました。
でも「この事件の異常性」とかいうのはこの本に関係なくどんな凶悪事件でも語られがちですが、よく考えたらこの世の全ての殺人事件に異常も普通も無いのかもなあーってのが、読んで主に思った感想です。
あとこの本はアニメ業界や京アニに詳しくない人のために、アニメに関連する犯罪史とか京アニってのはどんなアニメ会社なのかとかも解説してるのですが、でも事実上この本を手に取って読もうって人はその時点でアニメや京アニに少なからぬ知識や関心はある人がほとんどだろうな、ってのもちょっと思いました。
それと、これは本の内容とは少しずれる感想なのですが、著者は「思われる」「考えられる」「推測される」って助詞を妙に多用してて、私はこれ大嫌いなので、そこは気に入らない点でした。
「私はこう思う」を「私にはこう思われる」って言い換えするの超嫌い。完全な個人の好き嫌いです。
まーこの言い換えは世の中に浸透してしまっているので、是非を問うても詮無いことだってのは承知してますが、好きか嫌いかを言うのは私の勝手ですので。あくまで。
そのへん以外は読んでて感心できる本でした。
さて、著者はアニメ研究家なので、事件が起きたときマスコミから取材が殺到したそうです。
受けるか断るか悩んだすえアニメ研究家の信念のようなものから受けると決断し、そしてコメントすること自体のリスクや、何を言うか(言えるか)や、世の中に京アニについて解説したい事や、記者と会話が噛み合わないもどかしさなどなどいろいろと苦心した様子が伝わってきます。
そして著者は「この本を書くぞ」と決めて、メディアがこの事件をどう報じたか、事件発生前後の判明している経緯、京アニとはどんな会社なのか、事件があらわにしたことなどなどをじっくりまとめて記録してあり、この本はその記録として価値がある気がします。
私が特に関心が湧いたのは事件の実名報道についての問題でした。
事件直後京アニ側が被害者の実名の好評を「当面」やめてくれって申し出があったけど、ほとんどのマスコミは実名の公表に踏み切りました。
しかしどのマスコミもなぜ実名報道しなといけないかのまともな説明は全くなかったことをこの本は指摘していて、そこは確かのその通りだと特に感心しました。
マスコミ各社はうわべだけの定型句を並べるだけで実名報道を強行し、それに賛成の人だけの意見を載せて正当化し、このマスコミの在り方は確かにかなりの疑問です。
一方で、この事件で亡くなった被害者はアーティストであり(熱心なファンにとっては)スターであり、その実名は非常に重要な情報であることもこの本は指摘しています。
公表が遅れたために、未確認情報の「被害者リスト」がネットで拡散されてしまい、実名を伏せたことで混乱が発生したこともこの事件の特徴でした。
例えるなら、どこかのプロスポーツチームのスポーツ選手が大勢亡くなったとだけ公表されて、亡くなったのが具体的に誰なのか不明な状態がずっと続くようなもので。そのファンはどれだけ混乱することか。
でもそれでもちょっと思います。
誰かにとって大切な誰かが殺人事件の被害にあったとして、その人が有名人だろうと市井の人だろうと、当事者にとってはきっと関係ないのかもしれないなと。
とはいえ、やっぱり、この事件は36人も放火殺人で殺されたことや、その人達がひとかどのアーティストだったことが、空前絶後の凶悪事件だったってことも確かに感じるわけで。
あとこの本は純丘曜彰と山本寛の炎上についても扱っているのですが、この本では山本は実名を公表し、純丘は実名を伏せています。その違いって何?
さて。この事件、裁判が終わるまではこの先さらに長い長い時間がかかることは容易に想像できます。
犯人の青葉真司が途中で死ぬか会話不能な状態になる可能性も決して低くはないようにも感じます。
気が遠くなる話です。
でも、今、まだ司法手続きが全然進んでないこの時期でも、こういう本が発行されてできるかぎりの記録が残ることは有意義だと思います。