アニメマギアレコード 魔法少女まどか☆マギカ外伝を全24話視聴完了しました。
面白くて満足でした。
私はスマホアプリのマギレコは全く遊んだことがなくて、何も予習せず視聴しました。よって以下全てはアニメから得た知見だけでの私なりの感想です。
まどマギに関してなら、かつてのテレビ放送をリアルタイムで視聴してました。
あれ震災の年に放送されたんですよね。もう10年以上前かあー。
その後劇場版を映画館で見ました。入場特典のクリアファイル今でも持ってます。
あとは漫画の「かずみ」や「おりこ」を読んだっけ。記憶は薄れてます。あ、「アラサーマミ」も。
私のまどマギの知識はこの程度です。
あれから約10年。私もおっさんになりオタク趣味は相変わらずだけど、かつては鹿目まどかに“萌え”たり美樹さやかと恭介と仁美のストーリーが刺さったりしてたような価値観は今はもうかなり変化して、ソシャゲのガチャとかに人生の時間やお金を費やすようなことはしないタイプのおっさんオタクになりました。
そんなときに始まったマギレコのアニメ化。ゲームはする気は無いけどテレビアニメなら見てみたい気になりました。
そういやそんな感じでこれまでソシャゲ原作のアニメ作品を2,3視聴したことあるのですが、心に響いたものは特にありませんでした。あ、いや、「ガールフレンド(仮)」はほのぼのと気楽に楽しめたかな。楽しめなかった作品は……いちいち挙げなくてもいいか。
しかしマギレコはいろいろと強烈な印象でした。続編を期間が開いても心待ちにしたし、こうして最後まで見れて良かったと思ってます。
これ、私がもしまどかにはまってた若いままでいたら、どっぷり持っていかれただろうなあー。ゲームにも手を出してたに違いないです。
しかし私も年月で価値観が変化(老化)して、まどマギの頃とは全然違う鑑賞の仕方でマギレコを楽しんでいることに自分で気づいて、その発見そのものが自分で面白かったです。
こういう楽しみ方もあり。
今マギレコに若い情熱を燃やしてるオタクは10年後にはどうなってるでしょうね。変わらずオタクでいるか、変わりつつもオタクでいるか、オタクでなくなってるか。
そして、10年後もオタクライフを楽しめる世の中であってほしいことも、ちょっとしみじみ思ったりもしました。
おっさん語りが過ぎたので、話をマギレコの感想に戻します。
まずは環いろは。まどかと似てもいるし違ってもいる主人公。
まず見た目はさすがすごくかわいいです。フードマントが新鮮だったし、またマギウスの翼の制服もフードマントなので、その対比が見てて綺麗でした。あとへそが透けてる衣装も素敵でした。王道ピンク髪。
で、性格のほうはと言うと、これが、もう、とにかく「その場その場で根拠無くやたら断言する子だなあー」とよく思いました。
「私は死にません」とか「お姉ちゃんがなんとかしてみせる」とか。
それが不幸を招いてることも少なくなかったようにも感じます。
黒江を救えなかったのも、いろはのそういう言葉が彼女をじわじわ追い詰めてたからのような。
私は昔だったら大喜びで堪能してたようなアニメ美少女でも、今はなんか数歩引いて観察するような楽しみ方をしてるのかもしれません。
いやそうでもないかな、キャラクターに惚れ込むことは今でもあるし、いろはをめちゃくちゃかわいいと思ってるのは確かだし。あとはアリナ・グレイもかなり好きでした。見た目も性格も。末路も。
一方で「よくあるパターンだな」と全然興味の湧かなかった子も多かったですが。
でもそれに関しては、マギレコは登場人物が多いので、きっと誰にとっても興味が湧く子と湧かない子がいて、それで普通なのでしょう。
本当に登場人物多かったです。さらにはモブ魔法少女がそれ以上にいて、私はどれも区別もつかないけど、アプリ版でそのキャラが推しな人とかは、モブ扱いされてて落胆してるのかなあーとか見ててちょっと思いました。完全なる他人事として。
そうそう。「魔法少女の数が多い」。これがこのアニメで特に印象的だった世界観です。
マギウスの翼にはもしかして万単位が所属してるんでしょうか?
世の中どこもかしこも魔法少女だらけ。
神浜市や宝崎市とかは、見滝原市とかと同じくやや非現実的な近未来大都市って感じで、きっとこの地球には総人口は何百億人といて、それでも社会が回るようになってて、テクノロジーも発達してる世界に見えました。
分母が大きいから魔法少女の数もめちゃくちゃ多そうな感じ。
なんか市や地区で縄張りがきっちり存在してるそうで、魔法少女同士は遭遇したらそういう折衝もしなくちゃいけない様子で、気苦労も多くて大変。そして完全なる女だけの社会。
で、魔法少女の数が多いということは、必然的に魔女と使い魔も多く、その犠牲者も多くなります。
超~物騒な世界です。学校や職場の人間がある日死んだりいなくなることが全く珍しくない世界。
それでいてこの世界の人々は「この世界には何か不思議な少女が存在するらしい」ってことにゆめゆめ気づいていないようです。
マギレコの世界観でも誰もがスマホ持ってるけど、それでもSNSとかで目撃遭遇情報とか、あるいは本人が「私こないだ喋る動物に会った!魔法少女になった!」とか発信する子はいないようです。
また、人口が多く魔法少女も多いということは、キュウべぇが声をかけた少女はもっといます。たぶん数億の規模。
インキュベーターにとっては地球人には絶滅してもらっては困るから、全女性を魔法少女にするわけにはいかなくて声をかける数をある程度絞ってるとは思いますが、それでもかなりの数の少女に声をかけ、断られた少女も必然的に数多くこれまた数億いる筈。
でもそういう「少女時代に喋る動物と遭遇したことのある大人の女性」も特にそれを世の中に詳らかにしようとはしてないようです。
実に都合よく魔法少女&キュウべぇの存在が隠匿されている世界。
これはきっと「そういう因果律」なんだろうなと漠然と理解してます。
キュウべぇや魔法少女が何かを起こすと、全宇宙の因果律(歴史やルールとか)も変化するようで、かつてのまどかや今回の環ういが歴史上存在してなかったことになるほどですから、例えば、キュウべぇに出会って断った少女は少女じゃなくなった時その記憶が消えたりするんでしょうね。
と、この世界観の仕組みに私は勝手に想像を巡らせて勝手に納得してます。
ところで関係無いけど少女と大人の女性の境界線ってどこなんでしょうね。
最年長は、ぐぐってみたところ、七海やちよの19歳なのね。まさか成人?
じゃあ、やちよは20歳になったらどうなるんでしょ?
あ、違うわ、最年長は巴マミの31歳。いや違うわ、あれは勘定に入れたらあかんわ。
真面目な話として、魔法少女は生き残れる限りは何歳になっても構わないのでしょう。
ただ、「契約できる年齢の上限」は不明なままですが。
こっちはあんまり深く考えるのはやめておきます。
話を戻して、マギレコの世界は、社会どころか森羅万象が現実とは違うルールで成り立ってる世界観のようです。それならいろいろと納得がいきます。
そういえばまどマギでも言ってましたっけ。ホモサピエンスが進化したのは魔法少女のおかげだったと。
しかしその一方で新たな疑問も発生します。
魔法少女が億単位でいて、その数だけ彼女達の願いが叶えられ続けた世界にしては、世界が未熟すぎることです。生老病死四苦八苦が過酷に蔓延しています。
ういってなんで何年も入院してたんでしょうね。仮に彼女の病が小児がんだとします。何でもいいです。
いろはは「ういの病気を治して!」という願いをキュウべぇに唱えたのですが、ここまでなら本当に歴史上、誰かの病を治すことを願った少女は無数にいて何もおかしくないと思います。ちなみにさやかもその一人。
しかしここで疑問なのが、「この世界から全ての小児がん患者が救われるようにして!」という願いを唱えた少女は歴史上一人もいなかったのか?ってこと。
長い歴史上に数十億いた魔法少女の中には一人くらいそんな子がいてもいいのにって思いました。
でもいない、と。
いやいや私は今重箱の隅をつついて得意になりたいわけではありません。
いないんです。いないからこそのこの世界なんだろうなと私はマギレコを視聴していてしみじみ思い納得してます。
(いろはが「ういと灯花ちゃんとねむちゃん三人の病気を治して!」と願わなかったことにも)
いろはは本当に視野が狭くて物を考えない愚かな少女、いや、いろはだけでなくこの世界の全ての魔法少女が愚かでした。
(特に、自分が辛いとき上手にSOSを求めることが全然できない子ばかり)(SNSで中途半端な泣き言を垂れてばかりで、それがまた噂の伝達と混乱を促してたようにも見えました)
例外が里見灯花と柊ねむで、この二人が、この世界での歴史上初の賢い魔法少女なんだろうなとか思いました。
そもそも視野が広く知能が高い少女はまずキュウべぇの甘言に乗せられにくく、賢い子は魔法少女になりにくいし、また二人は契約前に魔法少女と魔女について調べて考える時間を得るという幸運がありました。
で、彼女らとういは、姉いろはを救うべく計画を開始するけど、開始即座に失敗。原因はこの世に魔法少女が多すぎること。回収しきれなかったこと。
そしてういは消失、ねむにだけ記憶が残り、計画は魔法少女全員を救うという主旨に変更されたと。
そのエンブリオイブ計画なのですが、私としては「やれば良かったのに」とひたすら思いました。
止めたいろは達は本当に余計な事をした、うい達三人の決意を無駄にさせた、と思いました。
そりゃとんでもない数の犠牲者が出るでしょうけど。アリナと灯花の怒りの感情にも大いに同情したので。
自分達がこの世のろくでもない魔法少女システムの部品にされてしまった恨み。
ういとねむだって、自分達が罪を背負ってでも、魔法少女達ひいてはいろはを救いたい一心で手を汚す覚悟を決めたのに。
やらせてあげれば良かったのに、って今でも思ってます。
なんか、魔法少女達って、本当に目先のことしか見えてなくて、同じ失敗を繰り返してばかりで、心の中にドロドロを貯め込んではそれが最悪の形で爆発してばかりで、私はなんか「重度のアル中患者のようだ」とか思ってしまいました。
吾妻ひでおの「失踪日記」とか、中島らもの「今夜、すべてのバーで」とかにいた、酒を飲むことが自分でやめられず破滅する悲惨なおっさんのようだと。我ながらひどい比喩ですが。
マミや由比鶴乃はいともたやすくマギウスに利用されて狂わされてましたし。
魔法少女達は一体何に酔ってたんでしょうね。
魔法を身に付けた万能感にか?あるいは逆に不幸にか?ドッペルの依存症にか?
とにかくその愚かな少女達の世にも可哀想な不幸譚が、私にとってはとても鮮烈な作品でした。
世もすればチンケな物語になりやすいそんな題材をそうさせなかったのは映像の凄さにもあると思います。
特にバトルシーンは本当に凄くて、それに関してはなんかやちよが群を抜いて大活躍してた印象です。お見事。
あと脚本も「辻褄が合ってない」ってところが何も無くて、精巧だった気がします。
小さいキュウべぇが何者でなぜキュウべぇらしからぬ行動をよく取ってたのか見てて謎でしたが、真相が分かったときはなるほどと素直に感心しましたし。
あ、キュウべぇと言えば。
これはまどマギの頃から思ってたのですが、私は彼の言ってることはほぼデタラメだと思ってます。
特にエントロピーだの宇宙の寿命だののあたり。
たかが地球人の少女一人の希望と絶望が全宇宙にとってどれほどのエネルギーになるってんでしょう。
あの理屈は出まかせで、ただ自分達の養分にしたいだけなんじゃないかと思います。
本当あいつはカスです。
しかし私だって「エンブリオイブとワルプルギスの夜をぶつければ良かった」とか言ってるわけで、これってキュウべぇがよく言う「少しの犠牲で大勢が恩恵を受けるんだからいいじゃん」って理屈と同じなんですよね。
私にはキュウべぇを批判する資格は無いですね。
最終回は結局灯花たちの計画は未遂に終わりました。
キュウべぇにとっては万々歳です。おいしさ100点満点の万々歳。
彼の嬉しそうな総括を聞かされるいろはの嫌そうな顔が最高でした。
しかしそれこそが彼女が自分で選んだ道です。
ただ何やらアニメのこの結末はゲームではバッドエンドと言うか、ゲームでの真のエンディングはハッピーエンドなのだとか。うい達も助かるとかなんとか。
ってことはアニメ版はあえてこうしたのかな。すごいな。こんな悲惨な物語を描くと決断し、やり切った脚本に拍手喝采です。
暁美ほむらは最終回で消えてましたね。この世界線でもまどかは結局ワルプルギスで死んでしまい時間を遡ったようで。
このアニメマギレコの世界もまどマギではほむらが失敗したループの一つに過ぎなかったのでしょうかね。無念。
(私は、マミと鶴乃を救えたときに揃った12人の魔法少女が、そこで別れず12人全員で力を合わせてまずワルプルを、そしてすぐに次にイブを対処してればなんとかなったんじゃないかともちょっと思いました)
しかし、ほむらが消えても残されたいろは達はここで生きてくわけで、その記録はアルティメットまどかにだけは伝わってるんでしょうかね。
なんか切ないな。
本当に、ひたすら切なくて登場人物が愚かで映像が美しくて脚本が見事だった作品だと思いました。面白いもん見れました。
以上。なんか思ったことを脈絡も無くただ書いたって感じですが、これが私の「マギアレコード」「覚醒前夜」「浅き夢の暁」最終回まで見たありのままの感想です。
繰り返しますが私は原作に無知でアニメでの知見しかありません。
きっと原作知ってる人からしたら的外れなことも言ってるのでしょうが、「アニメしか知らない奴はどう思ったか」の一つのサンプルということで。
あ、そうだ。アニメ版がバッドエンドなのはもしかしたら「ハッピーエンドが見たいならゲームやってね!」って意図もあるのかも。
でも私はやらないかな。このアニメが私にとってのマギレコの全てで何の不満も無いです。