などなどブログログ

漫画の感想や日記などなどを。

ゾンビランドサガリベンジ9話感想 ゆうぎりは死にたがっていたのか

ゾンサガRの感想を今更書いてます。

 

9話では生前のゆうぎりが死ぬ顛末が描かれましたが、私には彼女は死にたがっていたように見えました。

 

どうなんでしょ?

 

f:id:mogmogfirst:20210711015849j:plain

 

江戸吉原の花魁だったというゆうぎり。どこで生まれ本名は何と言い、何歳で遊郭に入れられたのか、などなど、花魁になるまでの彼女の人生は明かされませんでしたが、そこはきっと、当時無数に売られた少女達のエピソードとして珍しいものは無いのでしょう。ありふれた悲劇。

 

しかしそんな中でも彼女は最高級ランクの花魁にまで登りつめたと。

 

で、なんと身受け(遊郭から解放)されるところから佐賀事変の物語は始まりました。

 

遊郭の遊女って肉体的にかなり過酷だったらしくて、身受けできても既に体はボロボロで結局早死に、みたいなイメージですが、ゆうぎりは大丈夫だったんでしょうかね?

 

18歳くらいのかなり若いうちから身受けできたし、「人気があり過ぎて客が取れない」と言われてたから、それの回数自体が少なくて肉体的負担も特に無いうちから解放されたのだ。と思いたいところです。せめて。

 

まー娼婦が過酷じゃない世界なんてどこにも無いですけど。

 

避妊や医学が発達してる現代でもきついんですから、近世以前の娼婦の生活がどんなだったかは想像を絶します。

 

娼婦になりたくてなる女なんていませんもんね。(このへんは真面目に語ると長くなるので省略)

 

でも逆に「体を売ること以外の生き方ができない女」ってのも昔も今も確かにいて、その事情は百人百様ですが、ゆうぎりも結局はその一人に見えました。

 

彼女は、身受けしてくれた日比谷の旦那が死に、自分が生きてくくらいの遺産を与えられても、「さあ自由でありんす!これからはわっちの人生を歩いていくでありんす!」とはなりませんでした。

 

 新しい人生を見出すことができなかったからこそ、死んでしまったようにも見えました。

 

 

 

ゆうぎりは佐賀で日々の生活をそつなくこなし、小さい娘の芸事の師匠なんかもやりつつも、空っぽの虚しい毎日を送ってたようです。

 

生前の高校受験失敗したさくらに少しだけ似てます。

 

喜一の佐賀復権を訴えるチラシを拾って文を読んでも何も心が動かず鼻紙にする始末。

 

さくらはアイアンフリルの愛に出会って生きる力を取り戻しましたが、ゆうぎりにとっての喜一は別にそんな感じでもありませんでした。

 

 

 

しかし彼女は喜一のために死にます。

 

ゆうぎりからしたら、身よりも無く誰もが自分を微妙に敬遠してるこの佐賀でたまたま出会い、少し話す機会を得て彼の理想論を聞き、彼の義父徐福がかなり弱ってるのを見て、彼らの世話をちょくちょくしてあげるようになったようですが、別に喜一に惚れたわけでも感銘を受けたわけでもなく、なんか単に「暇だから」やってあげてるかのようでした。

 

f:id:mogmogfirst:20210711015927j:plain

 

ただ、なにか、伊東がただ者でないことを察したり、喜一の賛同者が増えてきたり「政治が動きそうな予感」でも感じたのか、「気になる」「ほっとけない」という感情は湧いてそうでした。

 

喜一への感情は、弟のような感じ?

 

しかしそれでも、喜一のために死ぬまでする動機としては弱すぎるかなあー。

 

一緒に逃げりゃあ良かったんです。それこそ伊東が言ったように。

 

でもそうしなかった。なぜ?

 

 

私には割と簡単に自分の命を捨てたように見えました。 

 

まるでちょうどいい死に場所を得たかのような死にっぷりでした。

 

f:id:mogmogfirst:20210711015950j:plain

 

ゆうぎりは死にたがっていたのでしょうか?

 

生きる力をとっくの昔に失ってて、自分はいつどこで死んでも構わないような心境になっていたとか?

 

 

喜一が語る夢を「そうなれば素敵」と思いつつも、本当にそうできるとは思ってなくて、彼が生き延びれるように手を講じたら「あとはあなた次第。やれるものならやってみるといい」みたいに投げて、自分は一足先にこの世からおさらばした。みたいな。

 

だとしたらちょっと悲しすぎるエピソードです。

 

ゆうぎりの半生も、死も、伊東も、喜一の同志たちも。救いの無い話です。

 

f:id:mogmogfirst:20210711020004j:plain

 

 「感動した」とか「いい話」とかではなく本当にひたすら悲話だと思いました。佐賀事変は。

 

 

 

ゆうぎりが救われるのは、生き返ってゾンビになってからです。

 

 

ゾンビだろうがなんだろうが、自分が別に「生き返りたい」と願ったわけじゃなかろうが、もう一度人生をやり直せるチャンスを得て、自分が死んだあと世界が(佐賀が)どうなったかを見届けることができて、同じ境遇の仲間ができたことって、どれほど幸せなことでしょうか。

 

9話を見終わったあとで、1期の1話の終わり、ゆうぎりが目を覚ましたときのことを思うと結構胸が熱くなります。

 

f:id:mogmogfirst:20210708013519j:plain

 

1期2話ではロメロを撫でるシーンがあります。

 

彼女は自分が死んで100年以上も経ってることを知り、なのにロメロが目の前にいるのを見たとき、なにを思ったかもう計り知れません。

 

まずロメロを見て、かつてじっちゃんが言ってた「死人を生き返らせる」って言葉が頭に浮かんだに違いありません。それで自分が生き返った経緯を大まかに察することはできたでしょう。

 

そして世の中は、佐賀県の名前は自分の死の直後に復活してて、平和で(明治に比べたらですが)職業選択の自由があって社会幸福が高くて、喜一が望んでた世界です。というか喜一がそうなるよう頑張ったことを後から知ることになります。

 

しかし目の前の長身の黒メガネの謎の男は「佐賀を救う」と言い、自分と似た境遇らしい少女の一人は「まだなんも始まっとらん」とラップバトルでシャウトし、自分には何かすべきことがあるっぽいことを悟る、と。

 

熱いです。1期のときのゆうぎりにこんなバックボーンがあったのかと思うと。

 

 

 

そしてゆうぎりはじっちゃんことマスターこと徐福とも再会できました。

 

幸太郎が引き合わせてくれたのか、幸太郎が自暴自棄になってる間に自力でバー「New Jofuku」を見つけたのかは分かりませんが、後者かな?

 

そこで二人は今の世の中でこうして酒を飲める喜びを分かち合います。

 

喜一が頑張った甲斐がありました、ゆうぎりも死んだ甲斐がありました。

 

彼女は「ほんに、ありがとござんした」と。

 

これ、11話でさくらが幸太郎に言った万感のお礼とほぼ同じです。よかったねゆうぎり。

 

f:id:mogmogfirst:20210711020040j:plain

 

で、ゆうぎりはここで初めて「わっち自身で道を選ぶ」と言えるようになりました。やっとです。生前ではとても言えなかったことが140年越しにやっと。

 

ちなみに彼女は生前とゾンビ化後とでは180度違う人生を送ることができるようになったって点では、サキと同じだったんですね。

 

花魁とアイドルは(いろんな意味で)似たようなものかもしれませんし、今アイドルやってるのも幸太郎から強要され選択の余地が無いことなのかもしれませんが、それでも今の自分は、生前に遊郭に入れられた時とは何かが違うようです。

 

 アイドルやるのは自分の意志だと断言してます。こう言えるようになって、本当に本当によかったねゆうぎり! 9話はここに着地できてやっと「いい話」って感想になりました!

 

彼女(達)がこう言えるようになっただけでも、このゾンビランドサガプロジェクトは7割くらい成就したようなもんだと私は思ってしまうんですが、違うんですかね???

 

 

そのへんの謎はどうやら徐福と繋がってるようです。

 

「俺は佐賀で佐賀は俺だ」とのことで、徐福は明治に佐賀の地名が消えると急速に弱り、喜一がゆうぎりと出会い佐賀復権活動に希望が見えると少し回復し、狼藉が起こると危篤になり、喜一が無事に逃げ延び伊東とゆうぎりが死ぬとまた回復しました。

 

ついでに11話では佐賀に大水害が起こると倒れ(救急車で運んでいいの!?)、12話で駅スタライブが実現すると会場にこれるまでに回復しました。

 

本当に彼の命は佐賀という土地の命運と連動しているようです。どういうこっちゃ?

 

あ、これは最終話の感想に書けばよかったかな。でも謎のままなんだから同じかな。

 

 

 

 あと余談。

 

ゆうぎりのビンタシーンは、2期でこうやってまともに使われるシーンがあったことで、1期の意味不明な場面での使い方がますます意味不明になってしまった感があります。

 

f:id:mogmogfirst:20210711020137j:plain

 

あれホンマになんやったんやろ?

 

 

 

 そして珍しく落ち込むサキと珍しくサキを優しく労わる愛。

 

f:id:mogmogfirst:20210711020147j:plain

 

 

 

 

 

スポンサーリンク