義訓というのは、何かの文字に、その文字の本来の読み方とは全く違う文字をルビに振ることを意味します。
今日のブログは「スナックバス江」の感想なのですが、漫画における「義訓」の特殊性とアニメとの相性の悪さについてちょっと語りたいのが主題です。
さて。スナックバス江はこないだの回で明美が「アニメ化を狙ってる」と広言して、私はこの漫画大好きだし「アニメになったらいい」とは思いますが、でも同時に「するのは難しいだろうなあー」とも思っています。
(この漫画ではちょくちょく「アニメになりたい」「でもそんな話は来ない」ってことを自らネタにしてます)
それは「売れるのだろうか」という意味もありますが、そもそもこの作品の面白さはアニメで再現するのは非常に困難な印象があるからです。
それが義訓です。
この作品の面白さの一つが義訓のキレの良さだからです。
義訓というものは、昔から活字の世界で普通にある振り仮名の技法ですが、漫画界で急速に文化というか独特に発展した演出技法だと思います。
漫画以前の活字界での義訓は、「生命」と書いて「いのち」と読むとか、「牛乳」と書いて「ミルク」と読むとか、ちょっとした読み方の差や外国語の併記として使われるようなものでした。
でも現在の日本の漫画では、もうどんな言葉にどんなルビを振ろうが自由自在で、むしろここでひねったりシャレをきかせたり「いかに変なルビを振るかが腕の見せ所」になってる感すらあります。
「不運」と書いて「ハードラック」って読んだり、「伸縮自在の愛」と書いて「バンジーガム」って読んだり。
この技術を最初に確立した漫画家って誰でしょうね?
ちなみに義訓は英語では「deep furigana」と言い、日本の漫画を外国で発売する際、本当に翻訳者泣かせの代物なんだそうです。
で、スナックバス江の作者フォビドゥン澁川も義訓が得意な漫画家です。
例えば142話のこれ。
「出勤で貯めた給料をスナックでゴミにした」ってセリフに「ログボで貯めた石をガチャでゴミにした」って振り仮名がついてます。
素晴らしいセンス。私こういうのめっちゃ笑います。
「ゴミ」に「ゴミ」ってルビを振ることも、こういう義訓の文化が浸透してるからこそ成立するギャグです。
この漫画の面白さは義訓以外にもたくさんあるのですが、切れ味とかインパクトとかならこれが際立ってます。
しかし、仮にこういうシーンをアニメにするとしても、声優に本来の読みか義訓の読みかのどちらかしか言わせられないので、再現はほぼ不可能です。
活字なら2つの文字を同時に目に見せることが可能だからこそ生まれた技術なわけですから。
耳に2つの言葉を同時に聞かせることはまず無理です。
まーもちろん義訓が多いからアニメは無理と決まったわけではなくて、他の義訓が多い作品で言うならハンターハンターとか約束のネバーランドとか余裕でアニメ化されてるんですけどね。
でも約ネバは「漫画ならでは」「義訓ならでは」な演出は完全に切り捨てて割り切って製作されてましたし。
ついでに余談。義訓以外で「アニメにしにくい漫画の技法」といえば、例えば吹き出しのトリックとかがあります。
漫画では誰かのセリフを紙面に出しつつ「それを誰が言ったか」を隠すことができます。
あとから「あのときのあのセリフは実はこいつが言ってたのか!」と思わせるトリックを作れます。
でもアニメだと声優が喋らないといけないから、その時点で発言者はバレてしまいます。
(この技法が効果的に使われた作品として「さよなら絶望先生」が浮かぶのですが詳細は超ややこしいので省略)
他にも男か女か分からないって設定のキャラとか、声優がつくとその性別でバレたり設定の効果が激減したり。
本当に漫画とアニメは全く別の技術です。
話を戻して、スナックバス江はアニメ化どうなんでしょうね。
なにやら、ヤングジャンプのほうからアニメ会社に「これアニメ化しませんか」と呼び掛けてるんだけど、なかなかいい反応が無いらしい……って話をどこかで見聞きした記憶があります。どこだったか思い出せないので不確定情報ですが。
はたしてこれをアニメ化することは可能なのか?したとして売れるのか?
興味は尽きません。
いっそのこと「漫画の連載はずっと続いてるけどアニメ化の話は一向に来ない」っていうこの状態がこれからも続いてほしいともちょっと思います。
……で、今回このブログを書くために改めてこの漫画読み返したのですが、最近は義訓の数が連載初期から比べてかなり減ったような気がします。
最近はすごく少ないです。
もしかして、アニメにしやすい漫画作りを意識してそうしてるとか?
まさかね。