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とある社会運動してる人を「家の掃除」に例えてみる

何人かが一軒家で共同で生活してて、そのうちの一人が「リビングが汚い。もっとちゃんと掃除すべき」と同居人達に訴えます。

 

リビングはみんなで掃除してて、その人以外は現状で問題なく清潔に保たれていると思っていますが、その人だけは全く満足していなくて「もっともっと、埃ひとつ無いくらいに徹底的に掃除しないと駄目。汚くて気持ち悪い。あなたたちの基準のほうが変」ときつめの言葉で要求します。

 

 

 

 

その人の訴えはエスカレートしていきます。

 

「ハウスダストが原因で病気になったらあなたたちの責任」

 

「リビングが気持ち悪くて怒りに震えて涙が止まらない」

 

「こんなリビングが平気なあなたたちは不潔でみっともない」

 

「掃除するのがいけないことなのか」

 

「一切掃除するなと言うのか」

 

「このままだと掃除をしない家になりかねない」

 

みたいな。

 

 

 

しかしその人は同居人から全く同意を得られません。

 

理由はいくつかあって、まずその家はトイレとか他にもっと掃除に力を入れてもよさそうな場所があるのに、その人はリビングの掃除にしか関心を示しません。

 

「リビングをそんなに重点的に掃除するよりも、その労力をトイレ掃除とかに回したほうがいい」と意見すると、その人は「今はリビングの話をしてるのにトイレは関係ない。話をそらすな」と反論。

 

他にもこの家では、隣人がこちらの敷地にゴミを投げつけてくるという問題を抱えていて、「隣人に抗議してこの問題を解決することが最優先だ」という同居人がいるのですが、その人は「隣人とケンカなんて野蛮なことするな。こっちが隣人に謝って平和的に解決すべき」と反論。

 

てゆうか反論があればいいほうで、その人は完全無視することも少なくないです。

 

他にもさまざまなことでその人は同居人と対立して、しかし全くひるまずに毎日毎日熱心に訴え続けます。

 

 

ちなみにこの家には5人住んでいて、その人とよく対立するのは2人、あとの2人はほとんどのことに無関心です。

 

4人の同居人がその人に賛成することは本当に全く無いのですが、その人はよく「この家は怒っている」「この家は許さない」と自分の意見がこの家の総意であるかのような言い回しをするので、そういうところも対立する2人の神経を逆なでしがちです。

 

 

それと、この家がある町では毎年「お掃除賞」というものが発表されて、町内のドブ掃除を頑張った人や、ゴミ屋敷への説得を頑張った人とかが表彰されます。

 

その人は「自分はリビングの掃除をすごく頑張ってるので今年こそは自分が表彰されるだろう」と毎年言います。

 

 

 

 

 

 

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