読んでて「なんかおかしくない?」と思うニュースがありました。
小学校の教師に「この子は発達障害かも?」と思う子はどれだけいるか聞いたら、10%の子がそうなのだというニュースでした。
まずおかしいと思った点ひとつめ。
教師が医師による診断でもなんでもなくなんの根拠も無く個人の主観で「発達障害かも」となんとなく思うだけの数を集計してなんか意味あんの?って思ったところです。
「風邪かも」のレベル?
ふたつめ。
仮にまー、その教師の主観が長年の実績から確実性の高い判断だと仮定して、子どもの10%が発達障害だと判断されたとして、そうしたところで、それってもしかして、子どもの知能とか注意力とか社交性とかの能力を高い順に並べたときにただ単に下位10%を「発達障害」と呼ぶようにしてるってことだけなんじゃないの?って思ったところです。
発達障害の子とそうじゃない子の境界線がぜーんぜん分かりません。
教師がなんか、「この子はちょっと不安なところがあるけどギリギリ発達障害と言うほどではないかなあー」とか判断した子は「そうじゃない90%の子」にカテゴリー分けしたんでしょうか?
それともほんの僅かでも不安な兆候が見えたら発達障害認定?
どういう基準なんでしょう発達障害って。
根本からして考え方が違うんじゃないかと思いました。
バカっぽい子どもが一人いるとして、重要なのはその子が発達障害かどうか教師だか医師だかがカテゴリー分けすることよりも、その子が苦しんでいるかどうかです。
苦しんでないなら別にいいと思います。
逆に苦しんでるならその子が医師基準だろうが教師基準だろうが発達障害であろうかなかろうが「何らかの支援が必要」なんです。
このへんは上のこのリンクのニュースサイトの2ページ目では精神科医の人がまっとうなことを書いていました。
「本人が困っているかどうかを大人が見てあげることが大切だ」といった感じで、そこは本当にその通りだと思いました。
でも前半がなあー。
なんとなくで「発達障害っぽいかどうか」で90%:10%で判定されることによって、「発達障害っぽくない90%側だけど苦しんでる子」が見落とされたり、「発達障害だけど苦しんでない子」を「君は不幸なんだよ」と宣告してわざわざ苦しみ始めさせたりしないかってことがなんか不安になるニュースでした。
いやでもまー、発達障害っぽい子に自覚を与えて少しでも楽な世の中の生き方を指南してあげることも必要なのかもとは思いますが。