神奈川県座間市の死体遺棄事件が新聞テレビで騒がれていますが、やっぱりというかなんというか、容疑者の中学時代の卒業文集が新聞に載っていました。
凶悪犯罪を行った者は卒業文集をマスコミに晒されるのです。
昨日の毎日新聞に卒業文集が載ってました。
記事では容疑者の過去の経歴が徹底的に洗い出されて、関わったことのある人が何人かコメントを出していて、マスコミはいつものように躍起になって関係者に取材しまくっているのでしょう。
そして卒業文集です。
犯罪者は卒業文集を晒されます。
卒業文集晒しに一体何の意味があるのか。
それは国民の知る権利だから。
マスコミは正当な報道の目的であれば著作権物を利用することができます。
だから卒業文集を晒してもそれが国民が知りたいことだからという正当性を主張できるのです。
マスコミには国民の知る権利を根拠とした報道する自由と報道しない自由があります。
あと事件の起きた座間市の現場付近にもマスコミが毎日朝から夜まで大勢うろついているのでしょうか。
それも国民の知る権利だからマスコミは堂々とうろつけます。
そういえばマスコミに取材されたら喜んで応じる人ってのも世の中には一定数いるんだなあーといつも思います。
顔を写さない条件で「近所の人は」とか「学生時代の同級生だった人は」とかでしゃべりたがるタイプの人。
私だったら取材になんか応じる気はありませんが、もしそれなりの謝礼が出るのなら応じてもいいかなあーとも思います。
ああいうのって謝礼を貰ってるんでしょうか?
それはさておき卒業文集…。
もし私が小中高時代の卒業文集を世の中に晒されたら間違いなく恥ずかしさに悶絶します。
絶対嫌だあー。
「文集を晒されたくない」というのが強力な犯罪抑止力になってるかもしれません。
もし何か大きな犯罪をやらかして捕まったら文集を晒されるぞ!
それが嫌だという一心で犯罪するのはやめとこうと思いとどまる…。
でも逆をかえせば「卒業文集なんかどうでもいいわ!」という心理状態になるほど「誰かを殺したい」とか追い詰められると人は殺人もためらわなくなるのでしょうか。
あと卒業文集を晒される犯罪と晒されない犯罪はどこに境界線があるのでしょう。